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令和のカリスマに出会った話

2020.12.22.Tue.20:57
某SNSで謎の人と面白いチャットをしましたので載せてみます。
いきなり自らをカリスマだと言い、名を名乗られましたので、ここではKとします。

K:令和のカリスマ○子です。
私:おお。
K:よろしくね。
私:すばらしい。
K:分かる人にはちゃんと分かるようね。
私:ごめん、合わせた。
K:合わせるも何も本心でしょう。
私:まあね。なかなか、カリスマっていうのは・・・。
K:わたくしか、わたくし以外か。
私:或いはこのわたくしか。
K:同じ時代に2人もカリスマは要らないのよ。雑魚はすっこんでなさい。
私:すみません。じゃあお譲りします。
K:そうあるべきね。
私:令和の時代に、こんなに高飛車な方も珍しい。逆に清々しい。
K:あら、分かってるじゃないのよ。
私:或いはイってしまっているのか。
K:天才とバカは紙一重だってね。
私:そうですよ。事例は枚挙に暇がない。
K:その中でも、わたくしは異端中の異端。
私:天才もバカも、ある意味勝ち組ですもんね。
K:分かったようなこと言ってんじゃないのよ。このわたくしを諭すなんて百年早いのよ。
私:前へ進むだけでいいんですもんね。羨ましいですよ。
K:わたくしに憧れているね。それでいいのよ。強くなれるよ。
私:そのとおり。でも貴方はカリスマのふりをしてるだけですね。
K:正真正銘のカリスマ○子ですが。
私:私ごときに諭されるとか反応しているということは、凡人の域を超えてないって。
K:バカね。カリスマはなんでも拾い上げるものなのよ。
私:貴方をディスるつもりはないし、むしろチャット相手としては最高の部類だと思う。
K:よく分かっているじゃないのよ。カリスマと話せる機会なんて、二度はないのよ。
私:貴方がカリスマだろうと、発言に具体性がなかろうと、私にとっては一時のファンタジーであれば十分です。
K:そうね。夢をお届けしたいというわたくしの思念が伝わっているなら、これ幸いですことよ。
私:アハハ、面白い人だなあ。いい友達になれるのに。
K:カリスマはいつの時代も孤独なの。誰とも分かり合うことなんてできないのよ。
私:ふうん。でもこのチャットは記録して出版したいぐらい面白いですよ。
K:わたくしの紡ぎ出す言葉一つ一つが作品、アートになるということね。
私:そうです。貴方が決して自らを客観視しない立場を貫けるなら、もう最高ですね。
K:ご感想ありがとう。それでは、令和時代の象徴、カリスマ○子でした。
私:ちょっとまってよ。このチャット、ブログに載せてもいいですか。
K:天才が大衆にウケるとは限らないわよ。それでも良いのなら、ご自由に使えばいいじゃないのよ。

ああ、久しぶりに腹が捩れるほど面白かった。でも、今読み返してみると、この人はやたらと「分かる」という発言が多いことに気づく。もう少し掘り下げてみたかったけどなあ。こういう内容を更新ネタにできると面白いかも。

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写すものなのか、写るものなのか。その違いは大きい。

2019.03.03.Sun.23:49
 このブログをしっかり読んでいただいていれば、の話ですが、僕は音楽が好きで、特にデジタル技術の進化や情報化が音楽にとって必ずしも健全なものでなく、それは音楽があまりに簡便に、個人的に消費されるようになったことが原因であるとして、その状況を憂いているということを読み取っていただけるものと思います。
 これは例えば、古代の封建的な社会で、お城の中の王族貴族の暮らしと、城壁の外の庶民の暮らしが完全に隔てられていて、庶民からは全くの別世界があると想像するしかなかった、それゆえ、国王の権力がまかり通る構造になっていた、そんな時代に、突然、測量法が出現したことで一気に世界が平準化したことと似ていて、自分がまだ出会ったこともない世界、聴いたこともない音、ロマンが膨らむ土壌にこそ、生き生きとした能動や情動が生まれるのだと。初めから結果ばかりが並んでいる世界、それを誰でも手に入れられる世界、コピーペーストすれば本物と変わらないものが出来上がるのなら、心や魂が揺さぶられたり、渇望が湧き起こる動機さえ失われてしまう。
 音楽ほど思い入れがあるかというと、少し疑問ではありますが、写真というものも同じことで、昨今は、写真を撮るという行為も日常化しているし、一眼レフって何?というぐらい、誰でも持っている携帯電話(カメラですらない)で、結構な作品が出来上がることになっている。考えてみれば少し前まであった、携帯で写真を撮るなんて失礼だという感覚すら、なくなりつつある。
 僕がこのK5を手に入れたのが7年ほど前で、この時はまだ一眼レフを買えば、プロが撮ったような写真を写せるようになる、というロマンの希求が存在していました。その代わり、腕やノウハウは自分次第という余地が残されている。確かに素人でも本格的な写真が撮れるよう、機能は備わっている。だけど、それは門戸を開いているというだけであって、階段の上まで連れて行ってくれて、結果まで渡してくれるようなことはない。本来、趣味とはそういうものだと思います。
 ・・・というわけで、未だ人様に自慢したくなるようなショットは撮れていないわけですが、大切にしたい機材の一つです。
my camera 

枚挙にいとまはないけども・・・

2019.02.20.Wed.22:59
名曲、名演奏はたくさんあるけど。
自分のツボの一つはこの曲。初めて聴いたときは、こんなスリリングで、オシャレでリッチな気分にさせてくれる曲があるのかと・・・。そして、今でも、何回聴いてもワクワクは変わらない。


最大級の感謝と畏敬の念を

2019.02.17.Sun.16:27
ミシェル・ルグラン先生がお亡くなりになりました。
年代的にはリアルタイムで聴いていたわけではないのですが、日本人にとってのヨーロッパとは、或いはフランスとは、パリとは・・・そういうイメージの背景に、常に流れていたのは、まずもってミシェル・ルグランの音ではなかっただろうか。少なくとも、ミシェル・ルグランの音楽を、後追いで聴き、その圧倒的なヨーロッパ味に、ラテン系民族のセンチメンタリズムに完全に心を奪われた自分にとっては、もう、ミシェル・ルグランこそがパリで、フランスで、ヨーロッパだったのです。
今更、ここで自分がミシェル・ルグランの作品の素晴らしさや奥深さを語るまでもないし、全てを語れるような表現力も持ち合わせないのですが、人間として耳をもっている以上、単に過ぎ去った遺物として忘れ去られるようなことは、まず無いとは思いながら、そんなことでは困るし、自分の稚拙な文章を通してでも、一人でも多くの人に聴いてほしいと思います。音楽って、単に音が鳴っているのがそれではないのでね。日本人であっても、聴くだけで心がヨーロッパを旅行する。マカロンを食べて美味しいワインを飲んだような気がする。
ルグラン先生、さようなら。音楽がいつまでも人の心を揺さぶるものでありますように、見守っていてください。




「世界の終わり」の世界から帰りたくない

2019.02.05.Tue.11:19
 あのすばらしい小説に出てくる動物は、これがモデルだとしか考えられない。それにしてはちょっと可愛すぎるかな。
この世の中は、情報や物質や快楽に満ちあふれていて、楽しいしお腹もいっぱい。その代わりに深いシワ寄せも暗すぎる闇も隣り合わせ。
山の上のヤギを見ていると、本当に垢にまみれた自分と共存している生き物なのか疑ってしまうし、ここが「世界の終わり」ではないかと錯覚してしまう。
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