難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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「可愛い」とはなんであるか

ある女性は、色香を強調して振舞う同性に対して嫌悪感を持っており、また、それをチヤホヤしてしまう男性諸氏に対して疑問を抱いています。「ぶりぶりした人を甘やかすとは何事だ」・・・「腹が立つ」とさえ言います。

このことについて、僕も考えました。


人間にはいろいろな価値観があって、それぞれが思い描く「ほんとう」や「善い」を持ちながら生きていけるのが今の世の中です。しかし、そうでありながらも、例えばあなたが言うように、可愛らしく振舞うことが多くの人間(特に男性)にとって「善い」ことであるのは、可愛らしい振る舞いが「いいものである」と感じることが簡単だからなのです。つまり、見た目や表層の態度は誰が見ても解り易い。だから共感を呼び易いのです。悪く言えば安易であり、「可愛らしい」を表現する人は「迎合」なのです。
第3者から見て、それをどう捉えるかは、原理的に人間が様々な価値観を持つ以上はいろいろな意見が生まれることでしょう。あなたが感じるように、「腹が立つ」のもその一つです。しかし、それを見て「腹が立つ」のは、あなたが薄々はそれが安易なものであり、軽薄なことだと感じていることによるのではありながらも、そのことを世界全体を見通すような視点から見れば、当事者同士の価値観と同じ視野の中にいる人間と何ら違いはないのです。「ぶりぶり」が安易で迎合なら、それに辟易する感受性も多大な影響を否定できない価値観から脱却していないわけですから。腹が立つ心情そのものは、反動には違いないのですが、原理的に言えば「ぶりぶり」が「善いもの」となっていることを暗黙のうちに了解していると言えると思います。だからこそ腹が立つのです。あなたがそれを見て腹立たしいと感じれば感じるほどに、「ぶりぶりした人」や「甘やかす人」と同じ価値基準で物事を捉える人間共同体の一部になっていくのです。
どうすれば腹が立たなくなるのでしょうか。本来は、人間の価値、自分の価値とは、見た目や表層だけで決るものではありません。また、そのようなことは、誰でも暗黙のうちには解っていることです。しかしながら、相変わらず皆目に付くことに流されていきます。一つには、自分の価値観の中に、こうしたことを総体的に原理的に捉えられるようにする視点を育て、自分らしい物事の見方ができるような下支えを造ることです。しかし、それを声高に「私はそんな安易な人間ではない」とただ主張するだけではダメです。その主張がある意味「ほんとう」であっても、共感を呼ばない価値観は孤立するからです。あなたのそのパーソナルな人間性や価値観が、周りの人々に自然に認められる時こそ、一段上の存在、一目置かれる人物になるのでしょう。なかなか難しいことですし、一時に成り立つ問題でもないですが、がんばってください。


・・・表層や馴れ合い、こういうものが許せないという心情は、良く分かります。しかしそれは、自分自身が1ランクも2ランクも上の価値観を育てなければならない入り口に立っているのだと言えないでしょうか。女性にとっては、男性よりも「可愛い」という一種の知見は、より身近なものです。だからこそ、問題となるのでしょうね。

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音楽に癒しを求める?
僕だって仕事で疲れることがあります。しかし、そんな時は、できるだけ大きな音でこういう曲を聴いています。どこか遠くへ一瞬で連れて行ってくれて、泣いたりワクワクしたり、戻ってきたときには、いやあ、スッキリしていますよ。

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