難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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テーブルの上の肉はどう食べるべきか

かのソクラテスは、「食べるために生きるのではなく、生きるために食べるべきだ。」と言ったそうです。ある人は、この一見似ている2つの行為は、それぞれどういう意味なのかと問うていました。

これについて、かなり自分勝手な解釈ですが、僕も考えてみました。


この場合「食べる」というのは人間が持つ「欲」とか、もっと分かりやすく言えば「目先の快楽」のことを指すのだと思います。
対して、「生きるべき」の「生きる」というのは、人間が生きる事そのもの、根源的な「生」、目指すべき可能性のことを指しているのです。
従って、人間の根源的な生を、欲望のみに従属させることは愚かな行為である。目先の快楽や、欲求への安易な迎合に生を捧げるのではなく、人間の生にはもっと向かうべき地平がある。それを直観し、その目的のために日々の自分を満たしなさい。こういう言葉になると思うのです。


・・・単にお腹が良くなればいいのなら、力強いライオンのように肉を狩り、可愛い牛や豚のように草を食めばいいはずです。でも人間は、そう簡単にはいかない。自然界から授かるものをあくまで素材とし、様々な趣向を凝らし調理をする。美しく装飾された食器を愛で、テーブルマナーに従って、他者と時間を共有します。食べることだけでもこのように営みの拡がりがある。つまり、これが人間の世界の広さでしょう。ソクラテスの言葉は、この広い世界を、より善く生きるための最も根源的な指摘なのだと思います。

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