難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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階段を登らない選択はあるのか

ある20代の女性が、今自分は家族や友人に囲まれて幸せをかみ締めている。しかし一方では、言葉にできない不安や虚無感も否定できない、と言っています。このことについて考えてみます。


哲学的に考えれば、不幸というのは、自分の欲望に対してそれを実現させるための手段や能力を持たないことらしいです。
あなたは幸せをイメージして、家族や友人の健康と良好な関係を描き、現在そのような環境にありながら、つまり実現させているにもかかわらず、密かに虚無感を持っている。
あなた自身がすでに自覚しているように、あなたのほんとう、幸せ、欲望というのは、今現在の立場を逸脱したいということではないにしても、一部分ではもっと先、遠方を見越しているような視点を持っているといえます。
確かに、家族や友人、好きな人というのは密接な関係は持っていても、他者であり、外的な存在です。また、いつまでもこの関係性を維持しようと思っても、外部である以上、いずれ何らかの変化がある。つまり、永遠に保障された環境ではないということです。こうした個別の自我の進み行きが、あくまでも自分だけのものであり、生きるという事は勇気の要る事だと自覚される時、孤独感がやって来ますが、これは同時に自分が生きること、自分の求めるほんとうを持たざるを得ない存在であると確信する時でもあります。漠然とではあるが、あなたはそれを察知し、先を見越すのです。
さて、あなたのこの虚無感をどうして埋めましょうか。私なら、自分の中の世界に対する謎、漠然とした心情が確信に変わるような本を読みますね。実際、随分と救われています。


・・・目の前に人生の階段があるとイメージして、この先どうするのかと問われたとき、どんどん降りていくのだと確信する人はいないはずです。また、どこかにこれ以上登れない天辺があるとしてしまう事も、考えたくはないでしょう。

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