難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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結婚とはなにか
結婚とは「協力」すること! 働く女子が考える「『結婚』をひとことで表す言葉」ランキング
女子にとって、結婚は人生の大きな節目。特に働く女子にとっては、自分の働き方が変わるかもしれないビッグ..........≪続きを読む≫


・・・晩婚とか、結婚しない選択など、今の世相をよく表した結果だと思います。何しろ今や、女性が生きていくために、家庭に入るといったような既成概念はほとんど過去の話のようになっていますし、これには女性の社会進出や、様々な意味での男性の弱体化、神話イメージの崩壊が、少なからず影響しているんだと思います。

女性の3人に一人が「協力」だと。確かに結婚後の現実的な世界観がそこにはハッキリとあると思います。しかし、他人同士が一つ屋根の下で永遠を誓い合うために、「協力」という現実的な条件だけで動機付けられるのか、どうしても疑問が出てくる。もっと言えば、「協力」という言葉を持ち出したとたんに、パートナーの人格を自分と相対化して置いてしまう、混ざり合うことのない2つの自我、といったような図式がイメージされてしまうのです。

僕は自らの経験から、確かに「協力」は結婚後の最低条件ではあると思いますが、結婚自体を一言で表すような言葉であるとは思いたくない。実はもっと先、というか、人間の深い部分まで見通すことが、結婚観や、ひいてはそれが、自らにもっとも近い他者を生涯の伴侶とする、その一番の動機付けになると思うのです。他人の自我を相対化し、遠ざけていては進展はないのです。「協力」は確かに、異なる自我の歩み寄りではあると思いますが、簡単に翻るようなことも容認される。これでは、「協力」がとても見込めないような価値観の相違がある場合は、その入り口から対象外に置かざるを得ない。その時、自らの価値観がこの多様な価値の世界の中で、どれほど小さく、またどれだけの見通しを持っているかに気がつかなければならないのです。

つい長くなりましたが、僕なら「結婚をひとことで言えば」という問いには、さしあたり「共有」という言葉がしっくりきますね。

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人はステータスで幸せになれるのか

まじめに日々頑張っている人でも、ふと自分の姿を見てみると、言葉にできない不安に陥ることがある。悩みを投稿した人は、自分では就職に「失敗」しており、パートの職場で次々に入ってくる新人からみて年齢が大きいにもかかわらず、確固たる道を歩んでこなかった自分がダメ人間に思えると言います。このような人に、どう言ってあげればいいのでしょうか。


要するに人間は、自分とはどういう存在かを考えざるを得ないということだと思います。これは同時に、この世界とは何か、自分にとって「ほんとう」や「善いこと」、「美しいもの」は何かを考えることでもありますから、人生の中である一時立ち止まり、こうしたことに自覚的になれるかどうかで、その後の人生がどれぐらい膨らみを持つかが変わってくることでしょう。今の世の中は情報過多の世の中ですから、例えば日々の生活において、テレビやネット等が与えるものに浸かりすぎていることは、自らの存在について思考することから遠ざけてしまうものなのです。その結果がもたらすものは、受動的な人生であり、短絡的な思考であり、物事の表層的な部分に翻弄される浅はかな価値観なのです。
さて、あなたの場合は、まるきり上述にあてはまるとは言えないまでも、例えば「大学は一応出ている」とか、「ただ日々過ごしています」「ただパートに行き」このような部分が象徴しているのは、一体、何のためにそれを行うのか、つまりは自分の自我の求める「ほんとう」や「善い」について、直観や探求を行うことなく過ごしてきたのだ、とはいえないでしょうか。平たく言うなら、あなたのこれまでは自らの生の大きさから見ればあまりにも漫然としていたのであり、その結果、自分の存在や人生がぼんやりと、漠然としていることに気が付くのです。「私の生き方はだめ人間の象徴なんでしょうか」。あなたは、人は自由な人生を歩むことが出来るということも、自分が社会の一員として何事かを成すべきだということも、漠然とではあるが、知っている。なのに、自分が自分に与える評価や他人が自分に与える評価といった価値観には自覚的になれなかった。
あなたは今、考える入り口に立ったのです。自分の今の職業が、年齢が、それがどんなものであるかということは、自分の自我や、求める本質を思考することとは関係がありません。一生の根源的な課題だからです。この会社に就職すれば、あるいは結婚して子どもを設ければ、それであなたの人間が完成するわけではないのですから。
職場に入ってくる若者たちが、なぜあなたを頼りにしてくれるのか、年齢差があっても休日に一緒に過ごすことで「毎回楽しかったと言ってくれる」のは、どういう原理がもたらすのか、そこから自分が受け取っているのは、果たして、単に「私自身もとても楽しい」という感想だけに止まるものなのか、「後輩が多いから自分がしっかりしないといけない」という思いは、なぜ、どこからやってきて、自分の価値基準に何を与えているのか、これだけの思考や後輩たちの思いを超えてもなお、「就活」は失敗だったと言えるのか。
沢山考えて、自分が向かっている「ほんとう」が見えたと感じられたなら、その時はあなたは最早、「ダメ人間」ではなくなっていることでしょう。


・・・一体、どれだけの人が、日々のつぶさな人生の味わいに自覚的になれているでしょうか。情報過多のこの時代は、その弊害として、ステータスを感じられることにだけは目がいくけれども、それが実現できない場合は「負け組みである」「ダメ人間である」といったような2元的思考が目立つような気がします。一流企業や中央省庁に就職する、人に見せられる肩書きがある、このような事が、ほんとうにその人の人格の高さを保証するものではないし、これでよしとされるような、たどり着けるある一線があるわけでもない。人が向かうべきはそんなところにはないわけです。

Gentle Rain
「梅雨」と言ってしまうと、なんだか鬱陶しい感じがしますが、「夏の前の雨」などというフレーズを聞くと、途端に清涼なイメージが湧き、その後に訪れるであろう活動的な何かを想起したりしてしまいます。初夏に雨、僕はこのような曲が合うと思います。レモンを搾ったクラブソーダか、アイスラッテを用意するとさらにいい。






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