難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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ほんとうの満足とは何か

どうして物欲は無くならないのか。と悩む人がいました。ホテルに滞在している時はそんなに感じない物欲も、普段の自宅での生活ではムクムクと湧いてくる・・・。


それぞれ掲げておられる欲しいモノあれこれや、今までに購入してきたモノ全てをもってしても、あなたの心の空虚は満たされないのでしょうね。
ホテルに宿泊しているときには物欲が訪れないのは、心の充足があなたを満たしているからです。余暇や休暇など、非日常の時間というのはそのためにあるといえるでしょう。
ところが、あなたの日常には、あなた自身を実現するような事柄や、心が満たされるような機会が少ない。むしろ日々の小さな挫折や摩擦の中で、抑圧を受けているような感じがある。にもかかわらず、自我は自らを満たそうとします。モノを買い求め、モノに依存することよって空虚を埋め尽くしていく。つまり、自分は特別な存在であり、文化的な生活を送ることや、文明の利器の恩恵を受けることは、あって当然であると思いつづけなければ生きられない。
私自身もこのような心情は少し持っているので、気持ちとしては受け取れないことはないのですが、しかし、あなた自身が感じているように、このことは、必ずしも手放しにしておいて良いものではないのです。なぜか。それは、モノを得て自らを可愛がることは、人間の生としての全てではないからです。現に心の充足や精神的な満たされは、モノに限っていないことをあなた自身が経験しているのですから、受け入れがたい話ではないと思います。
こう考えてみてください。例えば、あなたはいま無限に使えるお金を手に入れました。思いつくものはなんだって買うことが出来ます。あれも、これも、あのホテルも、あの一等地も、すべてあなたのものです。この地球上で目にするものはなんだってあなたのものです、ということになったとき、あなたに物欲というものがまだあるのでしょうか。普通は想像できないと思います。もしなんでも自分のモノにできるのなら、何かを欲しがる動機を失うのです。この意味で、お金やモノの力というのは、自分という存在から見れば、有限で小さいものなのです。さてそのとき、あなたは満たされているでしょうか。こう考えたとき、欠けているもの、その感じ、これこそが、あなたが求めなければならないものではないでしょうか。


・・・現代は、高度消費社会と言われています。つまり、生理的な欲求を満たすこと以上に、生活の付加価値へも消費という行為で対応する、言ってみれば心の充足すらお金に換えるような世の中だという事です。しかし、これと引き換えに、プロセスとか得るための努力とか創意工夫だとか、時間のつぶさな味わいだとか、人が本来持っている能動は、忘れ去られたり退化したりしているような気がします。僕は、物欲があることそれ自体は悪いことではないと思いますし、自分でも欲しいモノは尽きないのですが、要は消費社会に浸かりながらも、常に自分自身が受身にならないような意識、視点を持っていたいと思うのです。

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それでもお金が全てなのか?

世の中お金が全てであって、人間はお金では語れないというのはきれいごとだ。こう考えてしまう私は頭がおかしいのでしょうか?という書き込みがありました。回答には、意外にも、と言うか世相を反映して、賛同する意見が多く、消費社会、資本主義、自由競争の世の中で、いかに物質的な価値に捉われている人が多いのかを良く現しています。


あなたの頭がおかしいかどうかはともかく、もし本当にそうなのなら、無償であるこの掲示板において、あなたが他人から有益な意見や助言を得ることはできない、ということになってしまいます。
人間の欲求が飽くなき物であり、無限のものであることから見て、物欲などの物質的なものは、もし世界中のすべてのものが手に入るとしても、それ以上のものは求められないわけですから、有限であり、人間の本質や存在そのもの或は人間が思い描く世界から見れば小さなものと言うほかありません。
あなたは日々の挫折や狭い範囲の見通しによって、お金が無限であると思い込みたいだけなのであって、暗黙にはそうではないことを感じているのではないですか。


・・・そもそも、お金や物質が持っている価値の向こうに、人間には他の価値があるという暗黙の予見がなければ、このような質問はわざわざ書き込む動機を持てないわけで、そうではないかと思いながらも打ち寄せる現実を前に、こう考えてしまいたい気分になる。というのはよく分かります。だけど、日常生活にお金が必要であるという現実的な話と、世の中の普遍的価値や人間の幸福、可能性の話をごっちゃにしてはいけませんね。

うーん、それはどうかな?
若者の車離れの理由 「クルマにセクシーさがないから」
若者のクルマ離れが深刻化している。自動車評論家の徳大寺有恒氏は、「経済の悪化でイニシャル、ランニング..........≪続きを読む≫


確かに僕も今の日本車よりも、自分がコドモだった頃の車のスタイリングのほうが好きだけれども、あくまでこれは日本車を創る視点から見ればそのような指摘もあるというだけで、車選びなんか昔に比べれば外国車だって選択肢に入る時代になったので、ご指摘の魅力的なヨーロッパ車だって選んでもいいわけだ。だからこの車に魅力が・・・という視点だけでは若者のクルマ離れの要因は説明できない。

むしろ僕に言わせれば、「若者のほうにこそセクシーさがない」、これが最大の理由だと思う。このことは、若者がバイクに乗らなくなった理由とも同じだと思うけど、自分が自ら研究して自分だけのお気に入りのマシンを見つけ、憧れ、手に入れるまでに様々な妄想をめぐらせ、また手段を講じ、所有することに優越感や幸福を感じ、欠くことのできない相棒として愛で・・・といったクルマやバイクを持つことの世界の広がりやロマンの深さ、こういったことに少しも価値の見出せない人が多くなってしまったということだ。

少し前までは、無気力、無関心、新人類が言われ、今や草食系などという言葉で市民権を得たかのような状況になっていますが、僕が思うに全くこれは動物的には退化にしか見えない。何っ!というなら野鳥のことを考えてみるといい。野鳥の雄は、大抵が雌より華美で、きれいな羽色をしているし、極端な形の飾りの羽根を持つものもいる。自ら作る巣に色とりどりの装飾を施す種もいるくらいだ。

一体この鳥たちが何のためにそうなっているのか考えてみないといけない。お金がないから、自分は負け組みだから、特に差支えが無いから、面倒だから・・・こういうことで、自らの「セクシーさ」まで失うのか。

あなたの家の窓からは何が見えるのか

世の中にはいろんな人がいますが、ある人は、「となり街」が好きで好きで仕方が無くて、恋わずらいみたいな症状に陥ってしまい、これはどういうことなのかと質問をしていました。一般的には、自分の生まれ育った街に愛着を持つとか、同郷の出身者を応援するとかいう事は良くあるのですが、この方の場合は、自宅の家の窓から遠望できるなんの変哲もない「となり街」が好きになったと。面白い事だと思ったので、僕なりに考えてみました。


あなたの質問は、大変面白い質問ですし、だからこそ思わず回答を投稿しているのですが、考えれば考えるほど、面白くない答えしか出てきません。しかし、考え方の一つとして読んでみてください。
まず一言で印象を言い表すとすれば、あなたが世界を知らないために、その分世界に何かがあるという期待を抱く。というものです。若い世代が持つ純粋な心象というのは、物事の相関や原理を知らないことで支えられています。大方の人間は、成長過程において、若かりし頃に抱いていたロマン性を忘却し、純粋だった心に様々な老廃物を溜めていきます。しかしその分、この世の中とはどういうものなのか、原理的に説明できるところまでは行かないまでも、自分自身が確信を得られる範囲で、世界とはこういうものであり、自分の存在とはこうこうである、といったような下支えを、それなりに用意できるようになるのです。
あなたは今、K市のことが好きでたまらない。しかし、仮にあなたの住む街と、K市が合併し、あなたの住む街もK市となったとき、それでもあなたはK市が好きでたまらないのでしょうか。また、あなたの住む街と、K市の境界線をまたいで立ったとき、あなたはどうなるのでしょう。
あくまで私の個人的な考えですが、あなたは、K市を好きでたまらなくなることで、色々な可能性を秘めており、まだ見ぬ世界にロマンを抱く、それ故に不安定であるあなたの自我に、一つの居場所を与えているのではないかと思うのです。K市について思いをめぐらし、様々な行動を起こさずにはいられない。それは、今のあなたの心の隙間を埋め尽くし、あなたが今そこに存在することを実感させるものです。故に、よく見知ったあなたの日常である自分の住む街であっては物足らない。かといって、まだ行った事もない未踏の地では、リアリティに欠けて恋する対象には成り得ない。だから、自宅のベランダから、思う様望むことができるK市が選択されたのです。
私はむしろ、あなたのこの心象は、悪いものではなく興味深いものだと思いました。このことであなたが悩んでおられるなら、全くアドバイスにはなっていませんが、人間は、大人になるにしたがってロマン性を失くすことこそ、やむを得ないことではありながら、むしろ避けたいことでもあるのです。


・・・若い頃に見る世界と年齢を重ねてから見る世界では、それが同じ場所であっても、実際の風景の物理的な経年変化以上に、自らの持つ視点の変化がもたらすもののほうが、心象に与える影響は大きいと思います。物質社会や利便性、合理性の追求は、人が本来持っている感性にはどうも相性が悪い。

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