難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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あなたの家の窓からは何が見えるのか

世の中にはいろんな人がいますが、ある人は、「となり街」が好きで好きで仕方が無くて、恋わずらいみたいな症状に陥ってしまい、これはどういうことなのかと質問をしていました。一般的には、自分の生まれ育った街に愛着を持つとか、同郷の出身者を応援するとかいう事は良くあるのですが、この方の場合は、自宅の家の窓から遠望できるなんの変哲もない「となり街」が好きになったと。面白い事だと思ったので、僕なりに考えてみました。


あなたの質問は、大変面白い質問ですし、だからこそ思わず回答を投稿しているのですが、考えれば考えるほど、面白くない答えしか出てきません。しかし、考え方の一つとして読んでみてください。
まず一言で印象を言い表すとすれば、あなたが世界を知らないために、その分世界に何かがあるという期待を抱く。というものです。若い世代が持つ純粋な心象というのは、物事の相関や原理を知らないことで支えられています。大方の人間は、成長過程において、若かりし頃に抱いていたロマン性を忘却し、純粋だった心に様々な老廃物を溜めていきます。しかしその分、この世の中とはどういうものなのか、原理的に説明できるところまでは行かないまでも、自分自身が確信を得られる範囲で、世界とはこういうものであり、自分の存在とはこうこうである、といったような下支えを、それなりに用意できるようになるのです。
あなたは今、K市のことが好きでたまらない。しかし、仮にあなたの住む街と、K市が合併し、あなたの住む街もK市となったとき、それでもあなたはK市が好きでたまらないのでしょうか。また、あなたの住む街と、K市の境界線をまたいで立ったとき、あなたはどうなるのでしょう。
あくまで私の個人的な考えですが、あなたは、K市を好きでたまらなくなることで、色々な可能性を秘めており、まだ見ぬ世界にロマンを抱く、それ故に不安定であるあなたの自我に、一つの居場所を与えているのではないかと思うのです。K市について思いをめぐらし、様々な行動を起こさずにはいられない。それは、今のあなたの心の隙間を埋め尽くし、あなたが今そこに存在することを実感させるものです。故に、よく見知ったあなたの日常である自分の住む街であっては物足らない。かといって、まだ行った事もない未踏の地では、リアリティに欠けて恋する対象には成り得ない。だから、自宅のベランダから、思う様望むことができるK市が選択されたのです。
私はむしろ、あなたのこの心象は、悪いものではなく興味深いものだと思いました。このことであなたが悩んでおられるなら、全くアドバイスにはなっていませんが、人間は、大人になるにしたがってロマン性を失くすことこそ、やむを得ないことではありながら、むしろ避けたいことでもあるのです。


・・・若い頃に見る世界と年齢を重ねてから見る世界では、それが同じ場所であっても、実際の風景の物理的な経年変化以上に、自らの持つ視点の変化がもたらすもののほうが、心象に与える影響は大きいと思います。物質社会や利便性、合理性の追求は、人が本来持っている感性にはどうも相性が悪い。

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