難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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One Less ~
数々の名作を産んでいるバカラックの作品の中で、比較的埋もれがちな曲なんですが、僕は結構好きです。
一つ欠けることが切ない・・・今まであったハズのものが無くなってしまう。「心に穴が開いたよう・・・」在る事によってそれ以上にどれだけ自分の心が満たされていたのか、失って気がつくわけですよね。

情報過多で過剰で、飽和飽食な世の中にあって、実はそれ以上に加えるよりも、かえって無いことや欠けることのほうが新鮮だったり味に気がついたりってことはあると思います。バカラックの音楽も、過剰さとは無縁な世界を頑なに貫いて、今なお世界に、シンプルだけど決して色褪せない音があることを伝えています。

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男は路頭に迷うのみ・・・?
「男性は夢や目的をすぐ諦める傾向あり」と脳科学者・澤口氏
 見事サッカー女子W杯で優勝し、団体としては初となる国民栄誉賞を受賞したなでしこジャパン。そんな快挙..........≪続きを読む≫


・・・昨今では、その狩猟本能さえなくなってしまって、家で居場所のないお父さんから、草をハムハム草食系の男の子に至るまで、一体男性というのは何をしているんでしょうか?


ロマンは大切ですよ。奥様や彼女との折り合いばかり偏重したり、所詮歯車の一部だなんて言っていたら、本来動物的には劣勢である男に生まれたことを後悔するしかなくなってしまいます。これでは、すぐ諦めるとかそういうこと以前の問題になってしまう。


・・・私ですか?勿論、諦め易い事は自覚しています。でもねえ、日常生活とか、昨今の合理化された世の中の考え方の中で、「女の人には敵わない」っていうのを根底に置いた上で、丁度孫悟空がお釈迦様の手のひらの上で一生懸命走る場面があるでしょう。ああいう図が男にとって健全なんだという認識は持っています。可愛らしいなあ、不器用だなあ、理解できないなあ・・・女性からそう思われてもいいんです。だって男として、精一杯ロマンを膨らませていれば、そこには女性には見えない世界があるんですからね。・・・まあ、手のひらの上の話ですがね。

自分を認めるのは誰なのか

完璧な人間じゃないとダメ。という考え方に縛られて、身動きできなくなって悩んでいる人がいました。この人はさらに、完全なものなど無いことも感じていながら、それでも不完全な自分というものも自信が持てないと言います。ここまで徹底していると大変ですが、どう言ってあげればいいでしょうか。


暗黙のうちに結果が見えているところにしか踏み出せない人間は、案外多いものです。解りきっていながら、馴れ合いを求めてしまうという心情も、多くの人間が持っています。
人間の成長とは、また、あなたのいう「完全」「不完全」という概念は、どこかで定められているものなのでしょうか。こうでなければならない、或は、「完全」が予め定められている世の中であるのなら、人が生きる意味を考えたり、人生を迷ってしまったりすることは、もっともっと少ないはずです。「絶対」とか、「真理」とか、マコトシヤカなこの言葉は、全く世の中のことを説明していません。そのようなものを前提していては、ほんとうや原理にはたどり着けないのです。
あなたはかなり偏った教育を受けたのかも知れませんが、現に自我の中に違和感を唱えているので、全く取り返しの付かない状態ではないと言えます。人間は、自然に成長すれば、必ず他人に認められることが生きることの中心課題になっていくのです。あなたのように超越か無かの極端な価値観の人もいれば、目を瞑っていてもどういう顔をして何を言えばいいのか解る人まで様々ですが、長けた人でさえ、絶対的な真理を掴んでいるわけではないのです。そんなものはあり得ないわけですから。ただ、個々の自我という幻想が束になることで、編んでは組み替えられる価値の網の目こそが世の中であるという知、善いやほんとうの流れを掴むセンス、自らのロマンと向き合い、現実と折り合う平衡感覚、これらのものが生きていくうえで大切であることは間違いないと思います。あなたにも、こうしたことを考えるときがやってきました。


・・・見た目が良くて万人に受け入れられることを目指すなら、実は簡単に実現できる。しかしこれは悪魔に魂を売ることと似ていて、自分というものを自分の目の届かないどこかへ失わせることではないかと思います。その代償というのは大きくて、やっぱりいずれ、ほんとうの私は何なのかと悩むことになる。

Après Un Rêve(夢のあとに)
この曲のピアノ演奏では、これが最高ですねえ。内声部の細かな動きが・・・聴き終わったとき思わずタメ息が出ます。この演奏の楽譜って売っているんでしょうか?(求む情報)
模倣が導く世界とは・・・
中国に今度は「偽IKEA」、コンセプトを丸ごと模倣
 [昆明(中国) 1日 ロイター] 米アップルの直営店「アップルストア」を完全に模倣した偽店舗の存在..........≪続きを読む≫


・・・こういう記事は興味深いです。

乾いたスポンジのように消費社会を拡大していくこの国では、お金が人々の価値観を均質化していく様をまざまざと見せてくれますね。僕の私的な見方では、IK○Aというのはもともと、ブランド至上主義の市場を解体して、生活とはもっとシンプルで気楽で、センスや工夫に対する能動的な姿勢こそが価値ある事なのですよ、と言う提示をすることで、消費者に新鮮な価値観をもたらしている存在だったと思います。それは北欧モダンという生活様式が、なんとなくアジアの東端から見れば、小洒落ていて合理的だというイメージにも支えられていたけれども、その本質としては、商品を選ぶことに自由という間口を広げる代わりに、質素な中にも生活する人自身の工夫や能動を要求するものだったのです。(僕はそう捉えています)

ところがこの記事を読むと、かの国ではIK○Aは、手っ取り早くブランドイメージを身に纏うことのできる一つのメルクマールとして捉えられている印象があります。「欧米ブランドへの憧れ」、はたまた「知的所有権やサービスの模倣」があることは、お金が動く原動の分野ならやむを得ないことなのかも知れないですが、その結果導かれるものが、人々の価値観が、「IK○A」をお金で得られればそれで最良」「IK○Aの商品のある我が家は(イケ家?)」という受動的なレベルの高くない消費に落ち込んでしまうものだとすれば、なんだか一昔前の我が国を見ているようで、もどかしい感じがするのです。
お金で買うことができるものより、お金では買えないものが多い世の中のほうが、生きていて楽しいのではないか、最近よくそう思います。

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