難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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魂の重さはどのぐらいか

普段生活していて、自分は仕事や学校、住んでいる地域等、様々な単位で人間関係があって、その中で暮らしている。しかし一方で、構成しているそれぞれの人には個別の人生があって、それぞれの暮らしがある。そのようなことを考えると、世の中では、自分の生というのは単に歯車の一つにしか過ぎないのではないか、一人の人間の生の重みというのは、世の中の人はどのように捉えているのか、すごく気になった、と質問している人がいました。


今の40歳前後以降の若い世代というのは、日本が高度経済成長を遂げて、国民全体が物質的には豊かさを享受できる時代に育った人が多いと思います。実際、自分もその中の一人なのですが、今思えば、我々より以前の日本というのは、世の中の暗黙、ひいては生活の不便さを補い合う必然として、何かしら人々が一体となって目掛ける目標があり、結果的にそれが心の共有や、公の概念を個々に植えつけ持つことに繋がっていたのではないか。しかし、高度経済成長や物質面の安定は、人々からそういう部分を遠ざけ、あなたが言う「個人」とか「個」の存在にばかり目を向けさせることになった。そのように感じるのです。学校では、個性を伸ばす教育などということも言われていました。
いま、「自分色」とか「わたし的」とか、「プライバシー意識の高まり」とか、そのような言葉と同時に、孤独死とか、無縁社会などの社会問題が起こる世の中となって、これらのことが無関係であると思えません。
私の考えを言えば、そもそも個人というのは個別の性や自我を持っているのであり、あなたが言うようにそれを世間が大切にするとか、ましてや学校教育において「伸ばしていく」ようなものではないと思うのです。むしろ大事にしなければいけないのは、あなたも私も、彼も彼女も異なるその「個」について、認め合ったり、共有したりできる社会を築くことなのです。私達は、何時の頃からかそのことを忘れ、自らがどう違うのか、その差異を見つけることばかりに時間や労力を費やし、価値を置くようになってしまいました。しかし、そもそもお互いが認められあうような世の中でなければ、個別の人生も意味をなさないのです。
あなたの問いは、こうした世の中の変容に対する、一つの危機感が問わせたのではないかと思うのです。


・・・便利で豊かな時代にあって、自由な社会に生きているという実感もありながら、なぜ私達は暗黙の内に予め組み込まれた歯車の一つに過ぎなくて、何か動かし難いものが存在しているという閉塞感を持つことになるのか。僕は一世代前にあったような、総中流意識、隣を見てウチも同じように、という時代は終わっていて、自由とか価値が不均衡になっているこの現実に意識的に対応するべき時代になっていると思うのですが、どうでしょうか。

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あけましておめでとうございます
2000年になったと思ったら、もうそれから12年も加算されていますか・・・。うかうかしていられませんね。
お正月に、カメラを手に入れました。これで僕のブログの写真も、少しはマシなものになるかも知れません。でもこれはこれで、また奥の深い世界ですね。ハマりこんでしまえば、一年が過ぎるのを自ら早めるようなことになるでしょう。ためしに自分の部屋の中を撮ってみました。

つぶやき以上虚言症未満-n8


つぶやき以上虚言症未満-piano

まだ写真のことは全くわかっていませんが、生意気を言わせてもらえれば、「自分は世界のここを見ています」ということをいかに印象的に人に伝えられるかが鍵だと思っています。自分の視点というものを、言葉以外の方法で人に伝える事ができる。これは面白い事です。
西風と太陽(オキナワ05)
西風は相変わらず強くて、ただでさえ足早に行ってしまおうとする秋の太陽を、時折雲で覆い隠すような意地の悪いことをする。R58の海岸線はコバルトブルーが基本色だ。だけど今、鉛色が混ざったような色を帯びてきたので、僕は非日常から現実世界へ戻る事を急かされているような気分になった。僕にとってバイクに乗ることは、羊飼いギュゲスが指輪を手に入れる事と同じで、自分だけが求める「よいこと」を具現化する行為以外の何でもないことなのだ。

つぶやき以上虚言症未満-kouri04

考えてみれば、自分の人生はこれまで全く自分のためだけに費やされ、自分自身を満足させるためには限度を設けることをとことん嫌ってきたし、時間といわず財といわず、惜しみなく捧げてきた。なぜなら自分という存在は、自分自身を試したり、可能性を量ったり、常にそういう働きかけをすることで初めて自らを知ることができるからだ。自分は何でも出来ると思い込むことは傲慢だし、逆に何も出来ないと思い込むことは、まだ見ぬ世界があるのにメガネを捨ててしまうことなのだ。

つぶやき以上虚言症未満-bise02


つぶやき以上虚言症未満-bise01


つぶやき以上虚言症未満-bise03

自らのロマンが膨らんだり、欲望の具現化で心が震えることを楽しんだりすることの大切さを噛締めながら、一方でその自分の姿を客観的に見つめる視点を育てた。そうやって自分が一体何であるかを知ることができたから、ギュゲスの指輪Tシャツを自作して、それを着ることができるのだ。
備瀬フク木並木道を抜けると、目の前に広がるビーチを、親子が散策していた。それを眺めていたら、急にお腹がすいていることに気が付いた。朝ホテルを出てから何も食べていない。心が満たされていると、人間は腹の減るのも忘れてしまう。さて、今や僕にも自分のもう一つの可能性が待っているのだった。僕が大切にしている思いを、彼女はわかってくれるだろうか。(おわり)


つぶやき以上虚言症未満-bise4

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