難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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小さく、黒く、逞しい生命
16年という歳月を妻と共に過ごしたラブラドールが亡くなってから5か月が過ぎ、その存在の大きさから「この次」という声はなかなか聞くことができないだろうと思っていた矢先、縁というものや妻の英断があって、それは唐突に我が家にやって来ることになった。

犬という生き物は今や動物というよりは、人間世界の鏡といった存在だと思ったほうがいい。そういう意味では先代のラブラドールはとにかく最後まで高飛車なお嬢様を貫き、種の中では最高齢に近いにもかかわらず、所謂老いぼれであることを認めなかっただけでなく、犬であることさえ否定していた。美しいものは美しいし、庇護されることに遠慮など必要はないのだ。その生き様は清々しいし、羨ましくさえある。

今般迎えたのは父プードル、母シュナウザーのエキゾチックな娘。小さく、黒くてか細いし、先代の野太さに慣れた目から見るとガラス細工のようだが、迎えに行った先の環境がそうさせたのか、これは殆ど「あばずれ」と呼びたくなるような風貌だった。だけど、いつしかのハリウッド映画にもあったように、「磨けば光る原石を磨く楽しみ」を予感させるものが、確かにこの娘にはありそうだ。

つぶやき以上虚言症未満-ノエル


例えばこの娘の境遇を自分に置き換えてみればいい。何も知らされずに知らない夫婦に引き取られ、遠くの知らない土地で暮らすことになるなんて、ちょっと想像できない。しかしこの娘は一つも取り乱すことなく、かといって下手に出るようないやらしさも見せず、自分のペースで新たな環境に適応しようとしている。触ってみると、線香花火のような心臓の鼓動が感じられ、それを魚の骨と変わらないあばら骨が辛うじて支えている、ただそれだけの体しか持ち合わせていないのに、その中身は見上げたものだ。

この娘を見ていると、純粋に生命体としての「逞しさ」とか、生命の進み行きに想いをめぐらさずにはいられない。12月生まれの独仏合作娘のために、我々は「ノエル」という名前を贈ることにした。
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現実を求めて彷徨う
随分と更新をサボってしまった。
その間、夏休みも頂いて、もうあまり機会がなくなるだろうということで、東京へ行くことになった。なんと言うか、関西の人間にとって、東京という所は「違う場所」なのだ。
そのうえ、僕のような人間の感覚からすると、東京という所は、つくづくリアリティに欠ける世界として映る。街往く人々の会話は、何か台本を読んでいるような、予め用意されている言葉を並べているような、会話というよりも、セリフというほうが近いものに聞こえるし、映像に映る風景が多いためか、街が妙にテレビ的に見える。
面白いことに、妻との会話でも、街の風景を見た印象を表すために、いちいち関西の街に置き換えて言い表さないと、身にしみた納得というものが得られない。三鷹の街は塚口とか高槻みたいだとか、そういう具合に。
村上春樹の1Q84に出てきた高円寺も目にした。僕は思わず児童公園の滑り台を探したが、妻は1Q84を酷評しているため、「フンッ」という感じでソッポを向いてしまう。
娘のためにと、気が向かないながらも3度目のTDLだったが、やっぱりここはどうしても苦手だ。当の娘でさえ、親に気を遣ってカメラを向ければスマイルを見せるものの、ついには「人が多すぎて、私もう、うんざりだわ」の言葉が出てしまった。僕は知っている。ミッキーやプーやティンカーベルは、自宅のお気に入りのソファに座ってDVDで見たほうが余程楽しい。そのことに始めっから気が付いていることを。親の前では夢見ていますとかわいらしく振る舞うこともできるが、しかし本当は実を取ることもできる。シュールとまでは言わないが、頭の回転が速い娘を見ていると、ますます東京がリアリティを失う。どうだ?シンデレラのガラスの靴だぞ?・・・。


$つぶやき以上虚言症未満


帰宅してから最近、アメーバニュースを覗くと、TDLで結婚披露宴を行う人がいると報じていた。130分待ってやっと会ってくれたお疲れ気味のミッキーは、披露宴の盛り上げ役もやってくれるらしい。人生で、おそらく一番現実を見据える事になるであろうまさにそのスタート地点に立って、シンデレラの夢物語に同化するために800万円を投じる人もいる。このまま魔法が解けないで暮らせたらいいんだけど、そういう訳にはいかないだろう。いやむしろ、夢の中であっては・・・。
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