難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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珍しく近況など・・・
ウチの娘が七五三を迎えたため、某虎の球団が必勝祈願を行うという神社でかしこみってもらいました。なんでもアグレッシブなエッセンスを持ったご神体をオマツリシテいるということで、(まあそういうことは拘って選んだわけではないんですが)どちらかというとコンサバ優等生路線を歩んでいる我が子には丁度いいかも知れません。

その割に、千歳飴を貰ったらアグレッシブに駆け出すオテンバぶりですが・・・
つぶやき以上虚言症未満-千歳飴RUN

もう一人最近我が家にお迎えした娘のほうはというと、かなり「ふくよか」に。なにしろ色黒なので、写真に表情を収めるのが難しい・・・。
$つぶやき以上虚言症未満-ノエル2









秋が過ぎていきます。小さいものはどんどん大きくなって、賢くなって。なのに僕のカメラの腕前は一向に上達しません。一年前に意気込んでいいカメラを買ったのです。昨今の機材は性能がいいので、役には立っています。数々の場面で、それなりのが撮れていますから。でも、それなりでしかないんでは、いけませんね。
$つぶやき以上虚言症未満-紅葉
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M.A.さんに伝えたいもの
ウチでは、親子そろってMAO ASADAを応援していますが、彼女はホントに生真面目で奥ゆかしいですね。インタヴューを聞いていても、常に技術や自分との戦い、といったイメージが、もう彼女の代名詞みたいになっています。

以前TDLが苦手だと書きました。でも唯一ハッとする瞬間は、夜に行われる電飾パレードの「SWAN LAKE」が鳴るところなんですが、下のはもっと大胆に高められた「名打ち込み」と言えるでしょう。普通の感覚なら、名のある作曲家の名だたる名曲を穢すかも知れないような仕事は、手を出せる領域ではないと思います。下手をすれば世界レベルでスベって寒い寒い結果を招くことに・・・。しかしここまで高められるのは、やっぱり「盲目的に好きだから」に他ならない。

MAO ASADAにも、こういう心があればなあ。「なりふり」とか、「既成概念」じゃなくて、「いいモノは獲る」「好きなモノは目いっぱい入れ込む」。こういう方向性が、きっと望まれる形になって現れるんじゃないかと。

・・・まあ、素人は好きなコトが言えるし、言いっぱなしなんですけど。だけど彼女が目指していることは、スポーツの世界で頂点に立つこと、というよりも、もっと本質的には「創造」という課題をやり遂げることなのではないでしょうか。

取り戻したいもの
できる事なら、こういう「沸き起こり」みたいなものは失いたくないですね。気がつけば、もう随分と降りてきてない。


「品」・「オーラ」とはなにか
ある人は権威を振りかざしていてもちっとも尊敬されず、ある人は温厚でほがらかなのに品というものが感じられない。かと思えば、何をしているわけでもなく、言葉が多いわけでもなく、ただそこに佇んでいるだけで、オーラのようなものを感じさせる人がいる。この違いとは?オーラというのはどこからやって来るのか?と問うている人がいましたので考えてみました。

お話の内容から察するに、あなたが指しておられるのは、見た目の「品」や「身のこなし」と言うよりも、その人の持っている「懐の大小」や「引き出しの多少」のことではないかと思います。
あなたが例として掲げる対照的な事象が示すように、人間は、程度の差こそあれ、自分の周りに他者がいる、この関係性を断ち切った世界では生きてはいけません。つまり、生きるということは関係性の網の目を押したり引いたりすることに他ならない。この時、この目には見えていないが確実にそこに存在していると皆が認識している「それ」とは、自分と他人が持っている身体ではなく、むしろ「その人自身が何を心に思い描いたり、どう進み行こうとしているのか」という部分なのです。これを自我と言いますが、この自我同士の押し合い引き合い、納得のし合いというのが人間の世界、関係性の世界を形作っているのです。
生きている人間はそれぞれに自我を持って、これを育てていますが、現代に神や絶対的支配者という存在があり得ないように、人間はどこまで進み行けばそこがゴール、などという設定は無いのです。つまり、どんな人間でも、この世界を見渡し掌握することは出来ないながらも、どこまで進み行くのかはその人の裁量にかかっています。
懐の深い人や、引き出しの多い人は、こういったことについて自覚的に生きていると言えます。それは、今ある自分よりもより広い世界を見渡すことについて貪欲な態度なのです。逆に、「世の中こんなものだ」とか、今ある現状以上に何も見ようとしていない人というのは、世の中を掌握したつもりになっているだけで、実際には自分で自分の小ささを設定しているようなものです。
そこについて回る「オーラ」というものにあなたは気がついた。これは、あなたの人生を大きく左右する問題と言っても良いかも知れないですね。

・・・「世知辛い世の中になった」と言われるようになってから随分経つと思いますが、これに歯止めがかかるどころか、世の中どんどん感度は悪くなっているような気がします。あまり批判めいたことは言いたくないし、ネットの世界で言っても仕方のないことだとは思うものの、ピグで社交の場を徘徊しても、以前よりも低俗化していると感じるし、あまり会話をしなくなりましたね。世の中決してこんなものじゃあないと信じたいですが。
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