難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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「品」・「オーラ」とはなにか
ある人は権威を振りかざしていてもちっとも尊敬されず、ある人は温厚でほがらかなのに品というものが感じられない。かと思えば、何をしているわけでもなく、言葉が多いわけでもなく、ただそこに佇んでいるだけで、オーラのようなものを感じさせる人がいる。この違いとは?オーラというのはどこからやって来るのか?と問うている人がいましたので考えてみました。

お話の内容から察するに、あなたが指しておられるのは、見た目の「品」や「身のこなし」と言うよりも、その人の持っている「懐の大小」や「引き出しの多少」のことではないかと思います。
あなたが例として掲げる対照的な事象が示すように、人間は、程度の差こそあれ、自分の周りに他者がいる、この関係性を断ち切った世界では生きてはいけません。つまり、生きるということは関係性の網の目を押したり引いたりすることに他ならない。この時、この目には見えていないが確実にそこに存在していると皆が認識している「それ」とは、自分と他人が持っている身体ではなく、むしろ「その人自身が何を心に思い描いたり、どう進み行こうとしているのか」という部分なのです。これを自我と言いますが、この自我同士の押し合い引き合い、納得のし合いというのが人間の世界、関係性の世界を形作っているのです。
生きている人間はそれぞれに自我を持って、これを育てていますが、現代に神や絶対的支配者という存在があり得ないように、人間はどこまで進み行けばそこがゴール、などという設定は無いのです。つまり、どんな人間でも、この世界を見渡し掌握することは出来ないながらも、どこまで進み行くのかはその人の裁量にかかっています。
懐の深い人や、引き出しの多い人は、こういったことについて自覚的に生きていると言えます。それは、今ある自分よりもより広い世界を見渡すことについて貪欲な態度なのです。逆に、「世の中こんなものだ」とか、今ある現状以上に何も見ようとしていない人というのは、世の中を掌握したつもりになっているだけで、実際には自分で自分の小ささを設定しているようなものです。
そこについて回る「オーラ」というものにあなたは気がついた。これは、あなたの人生を大きく左右する問題と言っても良いかも知れないですね。

・・・「世知辛い世の中になった」と言われるようになってから随分経つと思いますが、これに歯止めがかかるどころか、世の中どんどん感度は悪くなっているような気がします。あまり批判めいたことは言いたくないし、ネットの世界で言っても仕方のないことだとは思うものの、ピグで社交の場を徘徊しても、以前よりも低俗化していると感じるし、あまり会話をしなくなりましたね。世の中決してこんなものじゃあないと信じたいですが。
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