難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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コタツでは幸福になれないのか
ある20代の人の悩み投稿です。自分なりに日々の努力目標などを掲げ、実践しようとしますが、自分でそれができていないことに気が付いて、自信喪失。自己嫌悪。また、他人と上手く渡り合おうと意識をしすぎて、無難な態度に終始してしまい、そのことを振り返るたびに物足りなさや不甲斐無さを感じる。こういうことが積り、いつまでも自分に自信が持てない。また、その割には周りには華々しい情報があふれていて、自らの立ち位置とのギャップに・・・。

こういう人多いです。特に、まじめで、理想が高い人は陥り易い問題だといえます。後輩にもこういう人がいて、その人の文面を見ているようです。現代のこの年代には避けて通ることができない問題ともいえます。
私はこういう人に対面していつも同じ事を思うのですが、それは、「実に惜しい」若しくは、「実に期待できる、羨ましい」という気持ちです。健気だなとは思いますが、可哀そうだとは思いません。なぜなら、こういう人はまず、自分の事について自分で考える事が出来ます。また、そのような行為に割いている時間を持っています。また、例外なく、経済的には過不足のない環境で育ち、自身もそれなりの居場所に立てています。人見知りであることをマイナス面のように捉えますが、そもそも人見知りさせられる環境に居ることができるわけで、他人を完全に拒絶しているのでもなければ、遮断された環境に追いやられているわけでもないのです。
総じて何がいえるのかというと、全てが「これから」であるということです。また、人間関係の全般において、能動的にはまだ何も行っていないといえます。もともと、自己の内面に向き合い、自己に対して評価を行うことができるような能力があり、向上するような気概を持ちながら、他者との関係性や、社会のありようを考えていない、考え方が解らないために、自己と他者を相対的にしか捉えることができなくなっているのです。
「今日から心改め前向きにいきたいです。」の言葉が表しているように、自分の問題は全て自分に向けられ、常に自己内で完結するかのように考えています。
自分は泳げないから、水の中には入らない。でも、人よりも上手く泳げるようになりたい。こういう人は、自分の中に豊潤なロマンを抱えています。だからこそ、惜しいと思います。情報化時代に育ち、いとも簡単に理想を思い描く頭は持っていても、プロセスや過程に触れたことがないため、勝ち組負け組の二元論でしか語ることができないのです。

・・・その昔、学生時代に、僕の事を評して先輩が「オマエのその、コタツみたいな性格をなんとかしたい。」と言いました。おっしゃるとおり、確かにぬるかったですよ。しかし完全には腐らなかった。今年も勉強します。寒くてもコタツには入りません。
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