難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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これはファイナルアンサーなのか
長い間、多くの自分の考えを投稿して放置していた某掲示板の中で、今の自分が持つに至った考え方をこのブログに移植します。それは、シンプルかつ切実で、多くの人が課題としている、「(自分が)生きる意味とは何か?」という問いに対する回答です。

「生きる意味」・・・この掲示板で、このことを質問している人は数多くいます。それだけ、「生きる意味」を考えることは、多くの人の課題になっています。逆に言えば、今の世の中は、こうした問いを個人に想起させる世の中だと言えます。
例えば、あなたは生まれながらにして、「あなたが生まれたのはここからここまでの道路をつくり、維持管理するためなのです。」と決定付けられているとしたらどうでしょうか?確かに世の中の人間がみな一様に自分の生を抗えない力で決定付けられているのなら、誰も「生きる意味は」などと考えないでしょう。近代以前の封建的な社会では、これが当たり前でした。これはなにも職業の選択だけに止まらず、結婚や日常の常識とされることさえ、慣習がものをいい、そこから逸脱することは個人の裁量を越えたところにあるような時代だったので、身の回りの生活のあれこれは、万事が予定調和的な運びのうちにあって、誰も疑問には思う者はいなかったのです。
しかし、あなたも気付いているとは思いますが、今の世の中は違います。封建的な社会は滅びて、自由主義の社会なのです。誰でも、自分が思うさま、人生を歩むことができるのです。予め自分の生がどのようなものか決まっているような想定に対して、あなたが違和感を覚えるのは、あなたは「生きる意味」を問いながらも、暗黙のうちには「生きる意味」を見出すのは個人の裁量に任されているものであることをほんとうは知っているからです。
またあなたは、もう一つの違和感を持っているはずです。先の想定で、「あなたの人生はこれそれです。」とあなたに告げることの出来る存在が何なのか、そんなものはあり得ない。というものです。封建的な社会が独裁や専制の形を必要としていたように、個別の「生きる意味」を予め設定しようとするなら、それは人間を超えたところに絶対的な権力を持った何らかの存在を置かなければならないのです。今の世の中は、そんな世の中ではないことをあなたは知っているし、神様などの人間を超越した存在を信じるのは個別の志向でしかありません。
僕は神様や宗教を信じるなと言いたいのではありません。ただ、封建的な社会が滅びて、人間を越えるような存在を置くのは失敗だったと史実が証明しているからには、そういったところにはほんとうはないわけです。このように考えると、「生きる意味」というのは、少なくとも、誰が決められる訳でもなく、誰かが与えたり教えたりしてくれるものでもなさそうです。僕があなたに言えるとすれば、人間は、どんな人間でも、一生かかっても、すべての個別の人生を見渡すことなどできず、世界が何であるかを隅々まで知ることはできない。それを知っているはずなのに、誰でも今より次の瞬間を善いものにしようと活動します。まず、この事は何故なのかを考えなければなりません。そして、それをどこまで押し進めることができるのかは、全く個人の裁量であり、そこに自由があるのなら、出来る限り進めてみようと思うこと、その生き方こそ、意味を持つことだと言えるのではないでしょうか。

・・・これは正しいか正しくないか、そういう問題ではないと思います。だけど、僕はこう考えることができるようになった事により、割とスッキリした今の自分があると思いますし、もちろん、だからと言ってこれでおしまいでもない。
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