難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ゴールデン・ルール
生きるとはなにか?どういうことか?
人はなぜ生きるのか?なんのために?
人類究極の問いであって、万人の問いです。このブログのテーマでもあり、過去には自分なりの考えも書いたことがあります。(そんなに前ではありません。よければ参照を。)
時にはこの曲のように、ゴールデンルールを説いて、「答え」を提示したくなる。しかし、そうした途端に、ではなぜそう言うことができて、それを言える存在が何なのか、その言葉が真に正しいと確かめる方法は何か、そういう疑問が出てきて、とりとめがなくなります。
バート・バカラックとハル・デビッド。もちろん哲学者ではないですが、二人がポピュラーミュージックの世界で産み出してきたものは、この究極の問いの答えにも匹敵します。僕はレコードやCDを聴くことで充分に心が打ち震えるものですから、これを壊したくなくて、気に入ったアーティストのコンサートほど足が遠のくのですが、バカラックが85歳にもなっていて、京都に来ると聞いて、妻に半ば引きずられながら京都コンサートホールへ出かけました。

京都コンサートホール1
京都コンサートホール2

やっぱり85歳ともなるとお爺さんです。小さいお爺さんには良く見受けられますが、ジャケットを着ると、体格が華奢で、後ろから見るとハンガーに掛けられた服のように見えるところなど、本当にただのお爺さんだし、足もとがおぼつかないのか、スニーカー履きで、歌も殆ど歌声になっていなくて・・・。周りのバカラックバンドの面々は、対照的に若く、エネルギーに溢れていて、バカラックのお爺さんぶりが余計に際立っていました。
ただし、ただしです。バート・バカラックが成してきたことというのはこの世界では揺ぎ無いことなのです。面々が相当な尊敬と畏怖を持ってこの巨匠に帯同しているのは手に取るように分かるし、曲が終わるたびにバンドの面々が巨匠に対して賛辞の態度をとるところを見るにつけ、何かこう、重要で取り戻せない瞬間瞬間が過ぎ去っていく、そういう感慨が込み上げてきました。同時に、いくらバカラックが賛辞を贈られ、賞賛されようとも、誰も彼の行きついた高みと同じ場所へは行きつくことが出来ないという確信。そういう意味ではこのお爺さんは世界一有名で孤独なお爺さんなのです。



アルフィーのテーマが締めの曲になるのかと思っていました。(このとき完全に僕は泣いていました)しかしそのあと、聴いたことない曲だと思っていたら、あろうことかつい最近発表した新曲ということで、これには参りました、耳を洗って出直してきますと言わざるを得ない。つまりは、生きるとはなにか?の一つの回答をもらったのです。
来年も再来年も、おこしやす 京都へ。
スポンサーサイト
万物は流転する
久しぶりに更新します。
冬は冬で楽しみました。スキーはやっぱり中毒性が高いです。滑ること自体が爽快だということは疑う余地もないですが、シーズンに終わりがあって、一旦はブーツを脱ぎ、片づけなければならない、そういう名残惜しい瞬間のあるところもまたいい。3シーズンはジョギングして、来シーズンはもう少し上手くなりたい。雪はどのぐらい降るのだろう。そういう身体と自然に向き合った伸びしろに楽しみがある。
時は移ろい、身の回りにもいろいろと変化がありました。子どもが小学校中学年になりもうどう見ても幼子とは言えない人間になったこと。仕事に異動があり、環境が変わったこと。ガラパゴス化していたネット環境が現代的になり、仕事上必要だからということで遅ればせながらモバイル機器を持ち歩くようになったこと。バイクの呪縛から解放されたこと。地域やPTAの役を務めることになったこと。
かなり忙しい身の上になったことで、否定的だったモバイル通信を導入しましたが、この便利さに力を借りる場面が多くなると、なぜいままで否定的だったのかわからない、と感じている自分がいて、ハッとします。
今さらの議論かもしれませんが、便利さを否定するのではなく、便利さに鈍感になることや、身体機能が退化すること、行間を読んだり慮ったり、センスが平坦化して錆ついてしまうような無意識、無頓着、怠慢、これに自ら視点を持っていることが大切なのであって、そうでなければ人間はそのうち、手帳を上手に扱う者ではなく、逆に掌に載るような手帳に操作される単なる指になってしまう。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。