難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
時間とはなんであるか

秋です。今年の夏は暑かったですね。でも不思議な事に季節の移ろいは、生きているものにとって、何か焦りのようなものを要請すると思いませんか。やっと涼しくなったと安堵する一方、置いていかれまいとする漠然とした不安が心を過ります。

秋の空を見て、妙に言葉にならない郷愁を抱いたり、全てが遠い存在であると自覚したりする。それはきっと、時の経過を肌で感じることができる、この季節ならではの自然からの呼び掛け、人間が本質的に持っている進み行きの概念が成せる業ではないでしょうか。


前置きが長くなりましたが、今回は、上記に関連して、「時間」についてがテーマです。また例のごとく、某掲示板によせられた相談への解答から転載(一部修正)しますが、質問者は、やりたい事がいっぱいあるのに、絶対的な時間が足りない、いつも時間を気にしながら行動することが辛いので、どうすればいいか、と言います。これについて、以下のように考えました。


時間というのは不思議なものです。実質的な時の経過は万人には平等なはずであるのに、「忙しい」が口癖の人に限って何事も成していないとか、ヒマだヒマだといいながら、付き合いの悪い人もいます。私もあなたと同じように、やりたい事が沢山あって、全然時間がないじゃないかと悩んだ時期もありました。この時のことを振り返ると、実際成し得ていることは今と変わりがないのですが、気持ちにゆとりがなかったことが良く解ります。与えられた時間は一緒。成し得る範囲もそう大差ない。となれば、違うのは、精神面や認識の違いなのです。

つまり、こういうことなのではないかと思うのです。人間は、日々の生活の中で、時間を費やしていますが、何事かを成し得ようとしている時の時間というのは、その内容や進捗の状況等によって、「経ち方の感じられ」が異なるということです。もっと言うなら、時間とは、自分の欲求や価値基準に沿って過ごす時間もあれば、そうではなくて、義務的に費やさなければならない時間もあり、その内容や成果によって、自分が満足するかどうかの受け取り方が違ってくるということです。

また、このことに気が付くと、例えば自分にとって価値が高いと感じていることに従事する時間が膨大に、つまり、好き勝手に過ごせる時間が無限にあるとして、そこで自分が満足する何かを成し得ることができるのかというと、時間の際限のなさが自分のモチベーションに悪い影響を与えることがわかります。人間は、安易な方向には直ぐに流れていってしまいます。ここではそれは、時間の浪費ですが、こうした時間からは、成し得るもの、産み出されるものが少ないことが常です。

時間の経過と、自我の満足感は、必ずとも一致しないのです。時間をかければそれで自分が充実感、充足感を得るのか、というのは、少なくとも一概には言えない、というのが私の考えです。むしろ、義務的に献身しなければならない時間においても、自我の充足を求める行動をする姿勢こそが、希少な中で得られる、自分へ手向けられた時間を有効にするものだと思うのです。


秋の夜長、「時」について、あなたも考えてみましょう。

スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。