難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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淀みは再び清浄化できるのか
何の罪もない人がいきなり刃物で刺されるといったような事件を耳にするようになりました。報道によれば、街には防犯カメラなるものが設置され、犯人らしき人物を映し出すこともできているようですが、傷ましい事件が起きた後となっては、無常感をぬぐい去る材料としてはあまりに貧弱なものにしか感じられません。私の住む街にはこういった設備はほとんどありませんが、こんな事件のような危険を感じる事はまずありません。もっと人目が届く社会だからだと思います。単なる田舎というなんでもない事実は、考え方によっては貴重な社会の機能を有した場所だとも言えるわけです。しかしこれも、都市部と比べて、というレベルですが。

このことを考えていたら、少し前に某掲示板で、70歳になった方が、「人生奮い立つような言葉をください」と書かれていたことに対し自分が書き込んだことを思い出しました。

私は仕事上、50歳代から70歳代のごく一般の市民の方で構成されるある組織の担当者として、それらの年代の方と日常的にお話する機会も多く、時にはこの組織の活性化のために、立場をわきまえずに意見を差し延べるようなこともあります。そんな中で一番感じることは、それぞれ大よそ10年単位の世代間で、持っておられる基本的な社会に対する姿勢や理念というものが異なっているということです。個人的な好みにすぎないのかも知れませんが、私は、現在の70歳代以上の方の考え方や発言には含蓄を感じたり、同調することも多いのですが、60歳代以下の方のそれにはそういった場面が少ないように感じます。もっと言わせていただけるなら、60歳代以下の方からは、社会性や公共性から逃れていくような示唆を感じることが多いのです。
少し遡って考えるなら、前述で私が問題視している年代というのは、団塊の世代と呼ばれ、日本の高度経済社会発展に寄与してきた世代です。彼らの働きにより、勤勉な国民性のイメージは定着し、続く世代も努力が生活の安定に繋がることを受け取りました。しかし、この世代の子どもたち、つまり私を含めた以降の世代に、それまで見なかったような問題行動や社会現象が起きているのはなぜなのでしょう?大きな経済の発展の影に、何か、人間それ自体の成長を妨げるような、重大かつ基本的事項の伝え欠き、置き忘れのようなものがあるのではないでしょうか?
私は、70歳代以上の人が言う事については、含蓄があると書きました。つまりそれは、団塊世代が後世に伝えていないものを感じ取るからだと思います。もしここまで読んでいただいたのでしたら、面白くない書き込みをさせていただいたことをお詫びしますが、あなたが何か、今以上の活動に奮起されるなら、この不躾な若輩者の言う事も片隅においていただきたいのです。

・・・昨今のPTA等の場でも、役員を選出したりする場面では必ず不調に終わって、難航するクラスがあると聞きます。面倒な事は自分がやらなくても誰かがやるだろう。公共性や社会性を自分から遠ざける卑近な例です。社会というのは、まさに川の流れと同じで、放っておくと個々の垢がどんどん淀みを作っていきます。淀んだ川の中では可愛い稚魚も大きく育たないし、やっぱり見通しも利かないので、犯罪も起き易くなるのです。
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