難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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音楽のあるべき姿とはなにか

なんか以前書いた記事とカブるような気がしますが・・・やっぱりどうしても僕らの世代は、「音楽と人間」この関係の変化に一言申しあげたくなる立場にあると思います。(僕だけかな?)

例によって某相談掲示板に、ある高校生が「(商業)音楽でプロになりたいが、親から反対されていて、でもどうしてもやりたい。どう考えればいいか。」といったような相談に対して、僕が解答した文章を載せてみます。


今の世の中は、音楽、楽曲というものを大切にしなくなりました。一言で言うと、便利になり過ぎたからです。人間は、音楽を聞いて感動したり、美しいものを描いたりしますが、こうしたことがなぜ起こるのかというと、それは、音楽や楽曲を聴くということが、得がたく、かけがえのない体験であるからなのです。もう一つは、音楽や楽曲を聴くというのは、人々の間にある時間の共有感をもたらすものです。あなたもライブやコンサートに行った経験があると思いますが、その場所で得られる一体感を覚えているでしょう。異なる人間同士が、同じ時間を共有する時、言葉にできない充実感が訪れます。
しかし、こうした光景や、これまで音楽や楽曲がわたしたちにもたらしてくれた体験というのは、今の世の中で、なかなかお目にかかれなくなりました。レコード、CDなどの著作物の価値は、かつては万人にとって日常的なものでしたが、今では一部のコレクターにしか通用しません。しかも、純然に音楽を聴くためのものとして認められることも難しい状況なので、いろいろな付加価値を付けるしかないのです。なぜこうなったのか。音楽を聴く環境が、あまりに便利で、インスタントなものになってしまったからです。昔は、音楽をイイ音で聴こうと思ったら、相当な投資を必要としました。高級アンプに高品位なデッキ、大きなスピーカ・・・人々は、イイ音を聴くために、働いて、お金を貯め、秋葉原や日本橋に通い、カタログや店員とにらめっこし、死ぬ気で大枚を叩いたのです。こういう営みすべてが、音楽を中心として成り立っていました。もちろん現代から見れば、遠回りでもどかしい話ではあるのですが、音楽が人間の生きた文化だとすれば、そこにある憧憬や時間の密度が濃いほど、人間にとって重要なものになり、現代のように短絡的で消費的になればなるほど、人間にとって軽んじられる存在になってしまうことは、あなたにもわかるのではないでしょうか。
もう一つは、インターネットからダウンロードした音楽を、イヤフォンで楽しむという接し方がもたらすものが、音楽にとって何なのかということです。確かに便利です。しかし、手軽さは先にもあった「営み」というものを産み出しません。営みの中にある価値の付随がないのです。その上、手軽さゆえに大量消費です。ここでは、誰がその曲を作り出して、どういう労苦があって、世に出て以降、人々の間でどんな吟味があって・・・などということとは無縁です。また、あくまで個人的に消費されていきますから、そんな時代遅れの音楽聴いているなんて恥ずかしい、とか、そういうタブーがありません。その代わりに、音楽を通して人々が共有感を持ったり、一つの楽曲が大切にされることによって産まれる時代の彩りが無いのです。確かに何を聴いたって人それぞれ、ということは言えるかもしれませんが、文化の一形態である音楽の役割から見れば、そのような議論は音楽について何も語っていないのと同じことです。
こういう意味では、あなたのような夢を持った人にとっては、酷な世の中だと思います。
しかし、これは商業ベースの上の音楽の話です。音楽の扱われ方は確かに変わりましたが、音楽自体が持つ力は何ら変わっていません。少なくとも、音楽や楽曲をあくまで自分のロマン性の広がりとして大切にしていくのなら、歴史上産み出された数々の名曲を探求することや、自分自身が紡ぎ出す楽曲を模索することは、とても価値のあることだと思います。
少し難しい話になってしまったかも知れません。
これだけは言えます。「もし失敗してニートになって一番悲しむのは、やっぱり親だと思っています。」このような考えや気概では、音楽を完成させることも、音楽を切り捨てることもできません。あなたは、一生を親にぶら下がって生きるのではありません。いつの日か、自分の事は全て、自分で終始させなければならない日が来ます。その時に、まず親の事を慮るのでしょうか。そうではないはずです。増してや、音楽を作り出すのは親ではなく、あなた自身です。また、プロにならなければ音楽をやる資格がないと考える事も、成功しなかったから即ニートになるという考えも、単純過ぎます。今はまだ見えないかも知れませんが、音楽を本当に愛するのなら、どんな方法もあるのです。


・・・世の中、「個人の自由」この意味の取り違えから、他者とのかかわりを軽視し、最も重要なことを取りこぼしているように思います。音楽の接し方もこれと同じで、「誰が何をどう聴いてもあなたには関係がない」これを自由と捉えている感じがします。論旨の反復になりますが、なんでもありなのなら、どの楽曲がより優れていて、どんな録音が素晴らしいのかといった議論や、そこに生まれるハズの人々の「善い」の認められは、一体どこへいくのでしょうか?勿論、こうしたことが今の世の中に全く無いわけはないのですが、一部の人々のものではなく、音楽を聴く全ての人々のものでなければならない。接するスタイルの多様化の陰に、音楽の持つ価値の普遍性、こうしたものが人々の間から失われてしまうのは、僕は抵抗があるなあ。違うかなあ。

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