難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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世界のskmtは天才か凡人か

skmt教授の音楽の素晴らしさに魅了されたと思われる一人の音楽ファンが、なぜskmt教授の音楽は素晴らしいのか、一体、どこが優れているのか、といったような質問を掲示板に載せていたので、僕なりの意見を書いてみました。


私は専門家ではないのですが、彼らに影響されて楽器をさわるようになった人間として書かせてください。
教授は、確かに日本の商業音楽の作曲家としては独特の存在だと思います。あなたも感じておられるとおり、何か特殊なものをもっている気がします。しかし、教授の作品を過去から並べて聴いてみれば、やはり一人の作曲家、クリエイターとしての試行錯誤や変遷が読み取れますし、教授なりに時代的な音楽の潮流を掴み取りながら、ある意味では影響を受けることも、流れに乗ることも否定しないで作品を発表していると思います。この点においては、まるっきりの芸術家にあるような、鑑賞者を無視したアナーキーな人間ではないという印象です。
実際、音楽を作るとは、確かに理論が必要ですし、鑑賞者がいること、増してや商業ベースに持っていくことを考えるなら、聴く者のことを考えざるを得ない部分もあると思います。これを悪く言うなら迎合なのですが、教授が特に優れていると思うのは、音楽を聴くことに纏わる総体的なイメージというものを、自分自身から湧き出てくるイメージと一致させることに長けているのだということです。
少々哲学的になりますが、本来、自分が持っている「美しいもの」へと惹きつけられるときのイメージというのは、心の中にある幻想なのですが、これを他者に認めさせるためには言葉を介すなり、何かの実体的なものへと変換する必要があります。音楽の場合ではそれがメロディなのであり、メロディを際立たせるための音作りや理論なのですが、そういう訴求性が必要となるときに、いかに自らの最初の「美」のイメージどおりにコトを運ぶのかというのは、作曲上の最大の課題であると思うのです。
教授は、インタビュー等では、「作曲は、パッと浮かんだものが直ぐに消えてしまうので、捕まえなければならない。」というような発言をしています。私の推測では、このとき教授の頭に浮かんでいるものとは、フレーズの断片でありながらも、すでにそれは鑑賞者がどのようにそれを聴き取るのか、それをも見越しているイメージそのものなのではないかと思うのです。
私はその他、教授がメディア上で音楽以外の活動をしている部分や、環境保全や政治に対する発言等を見聞きするにつけ、彼は芸術家というよりも、イメージを操る職人といったような印象を持ちます。一番不思議、というか驚くのは、人間というのは例えばメロディを思いつくといった内なるロマン性がものを言うような部分が、年齢を重ね、現実世界に晒されることで徐々に霞んでいくことが普通であるのに、教授に至っては、浮き沈みはあるにしても、それがかなり長きに渡って保全されていることです。
しかし、本音を言えば私としては初期の作品のほうが好きなのですが。


・・・こんなこと僕が書いても、、、いいんですよね?あくまで、名も無き凡人の私的見解。

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