難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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他人は信用足り得るのか

かなり自覚を持って、あえて他人と深い仲にならないように振舞っているという人がいました。裏切られることへの事前の策だと言うのですが、一方で、これでいいのだろうかと自問しています。

世の中にはいろんな人がいますが、他人を信用するにはどう考えればいいのか、僕なりに考えて見ました。


これはどちらが先かという議論ではないのですが、自分と他者との関係性において、「合理性」や「利便性」を追求することと、「他人を信用すること」は、行為言動とその内実、結実や可能性の面から、別物であると考えることに非常に大きな取りこぼしがあるのではないでしょうか。
例えば「信用」ですが、仮に自分と相手方に立場の違いや格差が歴然としている場合でも、その相手方を信じるか信じないかの結果を出すためには、相手方に自分のことを諮らせること無しには成り立ちません。相手があなたのことを裏切るも裏切らないも、それは何もあなたの心の中の「想定」だけが原因となるのではなく、相手方があなたのことをどれだけ信用足り得るか、判断した結果も含まれているという事になるからです。
何事でもそうですが、他者との関係性は、それぞれの個々人が持っている自我同士の摺り合わせなのです。本来バラバラであるそれぞれの価値基準が、どこに共有や落としどころ、折り合いを見出すのか、それこそが、信用であり、常識やルール体系であり、広くは社会や世界を形作るものなのです。
計算高いあなたは、人より先んじて折り合いを予測するのだと思いますが、「深い仲は面倒ごとの原因」と予測するあなた独自の世界観が、せっかく様々な可能性を秘めている他者との相関を、あえて避けなければならない狭量な方向へと導いているものであると気が付かなければなりません。
あなたの「思い至り」は、漠然とした不安の中に、このことを抱えているのだと思います。


・・・”心を開く”とは、よく言われることですが、目に見えない自我同士がお互いの価値を比較できなければ、信用も何もないということだと思います。複雑な今の世の中で、立場の違いや考え方のギャップを前に、それを面倒だとして遠ざけることは、誰にでも出来る。でもそれでは、退行はあっても前進はない。他人のことが「関係ない」「分からない」この姿勢こそが、現代の野蛮な社会問題を引き起こす根源になっている、そう思います。

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