難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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自分が大事か他人が大事か

ある人は、自分以外の人間に興味がなく、思いやりの心情に欠ける自分に疑問を持っています。どうしたら他人に関心が持てるのか・・・という質問に、僕が解答してみました。


「自分のことしか好きじゃない」このことが本当なら、まだあなたには救いどころがあると言えます。
世の中には、自分のことさえ好きになれず、それが原因となって出口の無い悩みをかかえる人も多いわけですから。かくいう私もあなたと同じで自分のことが好きな人間なのですが、これを自分なりに分析してみると、「自分を好き」と言うには2つのことに確信が必要なのです。
まず一つ目には、自分自身の内面にオリジナルで明確な展望(ロマン性)を持っていることです。これはそれが現実的であるかどうかは関係ありません。要するに、自分(だけ)が信じているほんとうや良いもの、美というものに惹きつけられているかどうかということです。
二つ目には、自分の生活する環境において、1つ目の確信を持った自分自身が受け入れられていることです。これは要するにパーソナリティを他者に認めてもらっていることです。
「自他共に認める」という言葉がありますが、私が勉強したことによると、これは、人間が生きていることそのものだということです。先ほどの「自分が好き」ということに当てはめてみると、生きることそのものは、自分が自分自身(自我)を持ち、その自我を他者と認め合うことで成り立っているということですから、「自分を好き」だということは、生きるうえで中心となる心情に他なりません。
あなたは、「他人に興味がない」「思いやりに欠ける」と自己分析しているわけですが、上述のことからすると、他人に興味を持つことも、他人を思いやることも、自分の内面に何も無いところから引き出すものではないということです。ましてや、他者や周りの風潮や要請によって持つべきものだと認識するのは本末転倒です。
つまり、自分自身を認めてもらうためには、他者との関係性が絶対に必要なのですから、興味の有無、思いやりの有無はむしろ、関係性のためのスキルではなく、結果論的なものというべきなのです。
世の中には、いろいろな人間がいて、様々な人間模様が編み出されています。今現在、あなたが他人に興味を持てない、思いやれないのは、単に関係性が少ないからです。自分自身が内面の自我と向き合って、そこに奥深い展望を確認したときに、それを認め合えるような他者を自ずと求めるでしょう。そういう人は必ず現れます。それが世の中の広さというものです。


・・・今考えてみれば、質問者が自分のことを「思いやりに欠ける」と指摘しながらも、同時に「どうすればいいのか」という思いを抱いているということは、「このような状態は善いものではない」という一つの切り口がすでに用意されているということですね。

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