難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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答えは一つか(他人は信用足り得るのか3)

この類のテーマも3つ目です。そろそろクドいか。しかし、関係性の悩みは尽きません。人間にとって、一番大事なことだからです。ある人は、大事な人を信用したいと努力しているのに、でも、信じられなくて胸が苦しくなる。もしかすると自分は矛盾したことを言っているのではないか、そう言って悩みます。


どんな事でも、「こうでなければならない」とか、「こうしなければならない」というような思い込みがある人が多いことに驚かされます。
「人を信じることができない」とあなたはおっしゃいますが、では、自分のことは完全に信じることができているのでしょうか。そもそも、信じるとは何でしょうか。それさえしていれば、何でも収まる話なんでしょうか。
私の感覚から言えば、例えば伴侶でさえ、本質的に信用などできません。他人なのですから。しかし、それだから即ち、信頼関係が成り立っていないかというと、そうではないのです。つまり、伴侶の心の奥底まで見通すことなど出来ないのですから、平たく言えばそれは何を考えているのか解らないということになります。しかし、それでは家族が成り立ちませんから、誤解を恐れずに言うと、家族関係、同伴関係において、必要不可欠な部分となるものを育成している。ということになるのだと思います。
他人同士は、常に0点か100点かのどちらかということは不可能なのです。ただ、他人同士が一つのことに向かっている時、同じベクトルを持っている時、バラバラである自我が共有する面積を広げていく、信頼を拾い集めて共有するのだと考える事はできないでしょうか。
自分ばかりが相手を信じたり、疑ったりするわけではない
のです。相手も同じことをしています。また、それが相互に行われない関係というのは、本当の関係ではないのです。


・・・それが人間だと言ってしまっては、身も蓋もないのですが・・・。スイッチをONOFFするように、信用できるできないが決ってしまうのなら、ルールや社会は成り立ちません。多くの折り合いが必要になる身近な人にこそ、自分の持っている「幅」が必要なのでしょう。

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