難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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干渉のない世界が自由なのか

人と人同士は、なぜお互い競い合って、優越感に浸ったり、他人を貶したりするのか、なぜ、人は人、自分は自分とならないのか、人の幸福まで、或は不幸まで干渉しなくてもいいのではないか・・・こう考えるあまり、他人と接するのが怖くなったと悩む人がいました。とても重要なことです。そこで考えてみました。


重要なポイントに気が付かれましたね。「自分の価値観を押し付けあって他人を判断」することも、あなたが「温室育ちだから苦労知らず」であることも、全く人間の世界の本質的な部分を指摘していると思います。ただ、これは人間の持つ他者との関係性について、あなたの身の回りで起きていることを、あなた自身が解釈して起きたわけですが、それがあなたにとってマイナスの出来事とともにやって来たために、その関係性の事実があなた自身にネガティブなものとして認識させる結果となったのです。要するに、人間の関係性とは厄介であり、避けたいものだと。

しかし、関係性それ自体は、あなたの周りではたまたまそれが良いものではなかったにせよ、人間の世界からそれを取り去ってしまうことはできないのです。いくらあなたが本心を曝け出して関係のない人の幸福については感知しないと主張したとしても、すでに人間の幸福というものの認識自体が、他者との関係性の上に成り立っているばかりか、そのあなたのピュアな心情を理解する他者が存在しなければ、あなたの主張自体が無意味なものになってしまうのです。

人間は、本来が、自我の持つ惹きつけられによって生きているのです。これは肉体を主体にした生理的な欲求のことではありません。人間にとって、より大きくかつ重要なものは、他者に自分が認められたいという欲求です。関係性が心地よいものになるように、あらゆる行動を行うのです。何が良いもので、何がほんとうで、何が美しいのか。生きている人間は全てこのことを求めて日々を生きるのです。そのことが価値基準を作り出すのですが、全くこれは自分独りでは成し得る意味を持たないのです。

他人との関係性や社会は、こうした個々の持つ価値基準の摺り合わせによって出来ています。重要なポイントを掴んだのですから、今少し考えてみてください。あなたが「温室育ち」だから「苦労知らず」なのではなく、「温室育ち」だから関係性が腑に落ちなかっただけだということがわかるはずです。また、そのことが「人間の汚い部分」だけを指すものではないこともわかるのです。


・・・やはり重要なのは関係性について納得する、腑に落ちることなのです。子どもの頃から、つまり、自我が芽生えて成長するその過程で、喧嘩しないように遠ざけられ、迷惑をかけないように引き離され、他人は他人と言われ続けていては、何が大切なのかを知らずに大人になるようなものです。

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