難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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あなたのハートの形はどんな形なのか

世の中そろそろバレンタインデーです。もうこの歳になってそのこと自体とやかく言う気概もないわけですが、一体世の中の人々は恋愛とか性愛についてどのように考えているのでしょうか。ある人は、自分の持っている恋愛感や感情で、愛を語るに足りるのだろうかと問うています。少し考えて見ました。


質問の文そのものが漠然としていて様々な解釈ができそうですが、問いたいのは、自分が他人を愛するという心情に確信や誇りを持つためには、今現在自分が持っている恋愛観念や感情を持ち出すだけでこと足りるのか、一般的にそうしたもので認められるのか、ということになるのでしょうか。
可能不可能の二元論でいけば、それはもちろん不可能ということはできないと思います。しかし、あなたが問いたいほんとうの事は、そんなことではないのでしょうね。
愛というのは自己愛にはじまりその対象となるものが一様ではないので、言葉そのものの解釈だけを取り出せば愛はすなわち自分が認める惹きつけられ(竹田青嗣先生的に言えばエロス)に対する信望とでもいいましょうか。しかしここでは、あくまでも質問文からの推測で、他人への愛それも、恋愛ということに絞っていいとします。
私の考えとしては、一個人の恋愛観念や感情が性愛や恋愛を完全に説くことはできないというのが答えですが、それは以下、このような人間の関係性の本質がある限り、ということです。
人間は、自我を持つ生き物であり、他人と関係するとき接点となるのは自分が形作っているこの自我なのです。言い換えれば、個々の造りだした意識や欲望が他人と触れ合っているのであり、故に本能のなせる結果だけで世の中が動いているわけではないのです。人間の自我はその一個一個が異なり、また時間とともに変化するので、それらが関係することで世の中が出来ているということは、性愛ひとつをとっても複雑で多様な形をしていることはすぐに想像できるでしょう。
この世界で、人間が基本的に目指しているのは、自分の価値を高めようとする意識です。みんなに認められたいという欲望です。このためには、自我を多少ゆがめてでも世の中にあわせなければならない部分も出てきます。文字通り、我が儘なだけでは、必ずどこかが異なっている他人の自我の集まりである世の中とマッチしないからです。一方で人間は、素のままの自我、つまり自分だけが追い求める自我の世界(ロマン性)というものを誰でも持っており、自分の価値基準が、よいもの、美しいもの、好ましいものなどの序列を造るのです。この2つは、たいていの場合、こちらを立てればあちらが立たずという関係にあり、故に生きることは日々大なり小なりの挫折が付いて回るのです。
この見方でいえば恋愛は、よく「盲目」と言われますが、自分の価値が他人に認められるのと同時に、自分の持つロマン性をも満たすような特殊な経験です。それが故に失恋というのは、その両方の損失になるので、過酷なのです。


・・・このように利いた風なことを書く事が出来ても、僕が恋愛のプロフェッショナルであるかというと全然そんなことはなく、むしろ他者から見れば不器用この上ない人間に見えるに違いありません。何故か。それは、恋愛というものは、僕だけが持っている確信だけでは成立しないものだからです。

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