難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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続・正しいとはなにか

前回の記事では、自分自身の価値観を持つことに自信が持てない人について書きましたが、似たような話で、「善」イコール「正しい」は成り立つのかという質問に回答したことがあるのを思い出しましたので転載します。


多くの人々の「善」の認め合いが「正しい」を産むのであって、あることが初めから「正しい」のであれば、人間は予め定められた道をただ歩むだけの存在になってしまいます。
本質的に「善」に惹きつけられるのは個々人の自我の働きですが、何が「善」であるのかを知るためには、他者の持つ価値の序列との受け渡しが必要です。この営みが暗黙のうちに様々な「正しい」に繋がっていくのだと思います。
極端な例を言えば、自殺した人や他人を傷つけるような行為を成した人にとっては、それがその人にとっての「善」だったことを動かすことはできない。しかしこれを「正しい」とするためには多くの人がこの「善」を認めなければならないのです。


・・・私達は日常で、「これこれが正しい」、「正しい行いを」といったように、特に気にすることなく「正しい」という言葉を使っています。このことは、「正しい」ことの存在の仕方に、知らず知らずのうちに誤解や錯覚を引き起こす。つまり、「正しい」ことが絶対の真理であるかのようなそれです。しかし、上の例でも分かるとおり、「正しい」とは、特定の既成概念などでは決してなく、多くの異なる価値観の間から捻出する相互の納得や確信である、ということが分かると思います。僕はこのことを勉強したときに、モヤモヤとした感覚がパアッと晴れるような気がしたのを覚えていますが、果たして皆さんは、どうでしょうか。

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