難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
あなたも大人であるなら考えてみよう

ちょっと前の話ですが、某掲示板の人生相談のカテで、以下のような東大の教授の発言が載っていました。


私は、何が幸福か不幸かっていうのは、もちろん人によっていろいろあるだろうけれども、すごいしんどい経験をした時にね、つらさ、苦悩というのも何か意味があるんじゃないかなと思うことにしようと。実は同じようなことを言っている人はたくさんいることが分かって。ナチスドイツの収容所に入れられた経験のある人で、ヴィクトール・フランクルという人がいるんですが。彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
その公式は、絶望=苦悩-意味って言うんですね。
左辺に絶望があって、絶望=苦悩-意味。これは何を意味するかというと、“-意味”を移行したら、絶望+意味=苦悩ということです。意味がない苦悩が絶望である。
で、苦悩と絶望は違うんだっていうことを、彼はアウシュビッツの経験から言っていて、私は同じことを18歳の時に考えて、全然違う時代と状況で似たようなことを考えている人がいるっていうことに出会って、すごく感動しましたし。何が幸福か不幸かっていうのを考える、そのさっきの三つのフィールドの議論の中で、すごく重要な意味を持つのかなと。苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではない。新しい豊かな人生が見つかるかも分からないっていうふうに思っています。


これ、何かのテレビでの言らしいんですけど、掲載した人は、これをどう思いますか?と。


僕は東大の教授に対抗できるような頭脳は持ち合わせていないけれども、少し引っかかったもので、以下のように書き込んでおきましたよ。


確かに極限の状況に立たされた人にとって、こうした考え方が救いになるというのは解ります。
ですが、私の個人的な意見としては、「絶望=苦悩-意味」の公式の「意味」という部分に少し違和感があります。ここで言う「意味」というのは、人間が生きていく原理的な動機のことを指していると思いますし、そこに感情を加味するとすれば、「希望」と言えるものだと思いますが、私からすれば、その「意味」というものは、公式で言うならもっと上の、大きな項であつかうべきだろうという感覚があるのです。ですから、その公式に、「意味」の代わりに入れる言葉は、「手段」になります。
なぜなら、人間が生きていく原理的な動機というのは、自我の求める本質であることによると思うからです。「絶望=苦悩-意味」の公式では、絶望を、人間が生きていく原理的な動機(=意味)それ自体がなくなることでしか説明しえないことになり、「苦悩」も何もあったものではないことになるばかりか、「絶望+意味=苦悩」にあるように、絶望に人間が生きていく原理的な動機(=意味)を足した答えが苦悩であるとすると、生きることそのものが苦悩でしかないというネガティブな回答を導いてしまいます。
要するに、この公式は、人間が生きている中で起こる「絶望」や「苦悩」を、生きていることの一面であるというふうに捉えることができないのです。私としては、人間の生には、もっと本質的に、可能性や上のステージを目指すような動機があって然るべきだと思うのです。ですから、「意味」の中の一面として、「絶望=苦悩-手段」或は、「絶望+手段=苦悩」を置きたいと思うのです。


・・・ややこしいかなあ。理屈っぽいかなあ。いい線いってると思うけど。




スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。