難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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自分を認めるのは誰なのか

完璧な人間じゃないとダメ。という考え方に縛られて、身動きできなくなって悩んでいる人がいました。この人はさらに、完全なものなど無いことも感じていながら、それでも不完全な自分というものも自信が持てないと言います。ここまで徹底していると大変ですが、どう言ってあげればいいでしょうか。


暗黙のうちに結果が見えているところにしか踏み出せない人間は、案外多いものです。解りきっていながら、馴れ合いを求めてしまうという心情も、多くの人間が持っています。
人間の成長とは、また、あなたのいう「完全」「不完全」という概念は、どこかで定められているものなのでしょうか。こうでなければならない、或は、「完全」が予め定められている世の中であるのなら、人が生きる意味を考えたり、人生を迷ってしまったりすることは、もっともっと少ないはずです。「絶対」とか、「真理」とか、マコトシヤカなこの言葉は、全く世の中のことを説明していません。そのようなものを前提していては、ほんとうや原理にはたどり着けないのです。
あなたはかなり偏った教育を受けたのかも知れませんが、現に自我の中に違和感を唱えているので、全く取り返しの付かない状態ではないと言えます。人間は、自然に成長すれば、必ず他人に認められることが生きることの中心課題になっていくのです。あなたのように超越か無かの極端な価値観の人もいれば、目を瞑っていてもどういう顔をして何を言えばいいのか解る人まで様々ですが、長けた人でさえ、絶対的な真理を掴んでいるわけではないのです。そんなものはあり得ないわけですから。ただ、個々の自我という幻想が束になることで、編んでは組み替えられる価値の網の目こそが世の中であるという知、善いやほんとうの流れを掴むセンス、自らのロマンと向き合い、現実と折り合う平衡感覚、これらのものが生きていくうえで大切であることは間違いないと思います。あなたにも、こうしたことを考えるときがやってきました。


・・・見た目が良くて万人に受け入れられることを目指すなら、実は簡単に実現できる。しかしこれは悪魔に魂を売ることと似ていて、自分というものを自分の目の届かないどこかへ失わせることではないかと思います。その代償というのは大きくて、やっぱりいずれ、ほんとうの私は何なのかと悩むことになる。

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