難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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座り心地の良いベンチはどこにあるのか

感情がぶつかり合うのは、どういう原理によってなのか、どうして人間は、イライラしたり他人を非難することがあるのかと質問している人がいました。


人間が野生動物と一番異なるのは、自我を共存させながら社会を築いていることだと思います。人間の言動は、野生動物のように単に身体的、生理的欲求に従属しているというよりも、自我という目に見えない幻想、簡単に言うと、こうありたいという思い描きに引き寄せられることによって、さまざまな活動をしていると言えます。つまり、他人と渡り合っているその境界はどこにあるのかと言えば、人間の場合は身体の大きさや強さ弱さといった目に見える部分ではなくて、個々人が持っている思い描きが言葉を介されて接触しているのです。それが証拠に人間の場合は身体が弱いものは食べられてしまう世界ではないし、お腹が一杯になればそれで良い、あとは横になるだけ、といったようなものでは飽き足らず、自然を犠牲に晒してでもあらゆるものを生産します。これを生きている人が漏れなく実践しているために、人間社会では暗黙とか常識とか、凡そ喜怒哀楽といったような単純な感情論だけで説明がつかないような関係性を創り上げるに至ったのではないでしょうか。
そこであなたの質問に注目するとすれば、上述のようなことがある以上、感情という側面だけを捉えて、それをどうにかしようとするには限界がある。あなた自身が気がついているように、「話し合い」というのは人間が持っている複雑な自我を、理性によってコントロールし、お互いが異なる自我同士に落としどころを見出す試みだと思うのです。そもそもこの社会にルールというものや、常識というものが出来上がって、それが成り立っている(ように見える)のも、多数の人々が異なる自我を差し出し、どこに納得を見出すのかということで出来上がっている。それが人間の世界なのです。


・・・自分で全てわかったようなことを書くことができてもなお、整理が付かない感情から意に沿わぬ言動をしてしまい、相手に迷惑をかけてしまう。僕もそういう日があります。言動の裏側に大きなものがあればあるほどに崖から転落する危険性は高くなってしまう。でも本当は、相手の事が見えなくなってしまっては、何もならないんですね。自業自得、スタンドプレイ、全く自分とは愚かしいものです・・・。

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