難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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世の中が虚無なのか、あなたのハートがクールなのか
高校生が悩んでいました。なぜ自分は、何のために勉強しているんだろう?・・・そうしているうちに、なんとなく学校をサボってしまいます。そして、世の中には「ニヒリズム」という言葉があることを知り、今の自分に当てはめてみます。自分は陥っているのだ。といっていますが、あなたならどのように答えますか?

あなたはまだ高校生なのに、随分と高尚な言葉を知っていますね。私なんか、つい最近哲学を知って、やっと納得したばかりだというのに。
ただ、あなたも感じているように、ニヒリズムは人を陥れるブラックホールのようなものです。しかも人生を歩む中で、小さな挫折が沢山あると、老廃物のように溜まってくるものだということです。溜め込むというのはもう少し具体的に言うと、人間は、挫折のたびに自分のことを防衛しようとする本能があるので、それが自分の正当化や反抗の言葉、或いは信念のようなものになって行きます。本来、言葉や信念のようなものは、自分のことを自分で理解し、社会の中で生きていくために必要なものなので、誰でも身に着けるべき暗黙の課題であるのですが、ニヒリズムの中で自分を正当化したり抗う事だけに特化するような育て方をしてしまうと、大人になってしまったときには、もう周りの人はそれを認める事や理解する事はできなくなるのです。
非行にはしる若者は、親や周りの人間に認めてもらえないことが原因で、悪を行う。親や、社会のルール、人々が善いとしていることに抗うことで、自分を正当化しているのです。悪い事をするのは認めてもらえないからだと。しかしこれは同時に、自分自身の内面を正当化できなくしている。自分のやっていることは悪い事であると確実に認識しているからこそ、自分の外側には正当化の効力が発揮できるのです。しかし悪いことを認識しながら、それをするしか生きられないなら、本来求めていくべき自分の「善い」や「ほんとう」はどんどん見えないところへいってしまうのです。ニヒリズムの最も恐ろしいのは、こうした底なし沼のような自分の内面の絶望であり、どんどん深刻化していくところにあります。
しかしあなたの場合は、文面から察するに、まだここまで残酷な絶望ではないですね。同じニヒリズムでも、自分を理解するための一つの方法として、一度は誰でも考えをめぐらせる類の例だと思います。確かに、「幸せに暮らすために」生きると言うのは、一見常識的な真っ当な考えのように思えますが、あなたが思い描くことのできる「幸せ」の形が、今のあなたに思い描けるものである以上、それは有限のものです。あなたが一瞬、ニヒリズム的な思考に至るのもムリはない。人間は、そのような限りあるものをめがけて生きているのではないのですから。
何のために生きるのか、なぜ存在するのかという問いと、自分がなりたい職業に就くとか、欲しいものを手に入れるとか、幸せの形とかの話は、レベルの異なる問題です。前者は、それを追い続ける事そのものが生であるというような根源的なものなのですし、後者は単なる手段の話です。せいぜい世の中の人が実現できているようなありきたりの既成概念を追うことよりも、もっとあなたには自由にロマンを膨らませる時間があるはずです。

・・・現代はとても便利な時代ですが、若い精神が熱く燃えるには、ちょっとクール過ぎるというか、スマート過ぎる世の中です。草食系然り、絶食系然り。サムネールを閲覧しておけば、世の中全て見通せるような気がする。しかし世の中の「ほんとう」を、ただ見知っているのと、自分のものにしているのとは全く世界が違います。
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