難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
やってもやっても終わらない宿題とはなにか

様々要因があり、仕事を辞めてしまって以降、マイナス思考に陥り、将来が見通せず、果てには自分はどう生きていけばいいのかということも分からなくなったという書き込みがありました。


掲示板のこのカテゴリーで、あなたのような質問をしている人は沢山います。私もこれまで、同様の質問に対して稚拙ながら多くの回答を書き込んだ覚えがあります。(もし良かったら参照してみてください。言っていることは一貫していると思いますが・・・)
あなたの場合は、自分はどう生きるべきか、どのような希望を持つべきかといったような、人間が生きていく上で一度は問わざるを得ないような普遍的な課題と、目の前にある、仕事を上手くこなしたいという、言ってみれば身近で生活上にある当面の課題を一緒にして考えてしまっているような印象を受けます。
確かに日々ままならないことが重なると、自信を失くすものでしょうし、日常の小さな挫折が、将来を見通すことを邪魔します。しかし、本来は、どう生きるべきかというような人生において大きな重みを持った課題というのは、ある時突然に決定付けられるようなものではなく、生きていく中でそれは様々に変容するものです。生きている最中にある人が、結果の側に立って俯瞰するようなものではないのです。
仮にあなたが仕事でも日常でも上手く運んでいるとします。しかし、それはパンや米を安定してあなたにもたらす術ではあっても、それだけではどう生きるのかの答えを得たことにはならない。どんな立場の人間でも、自分がどう生きるべきか、というのは、必ず考えなければならない。乱暴に言えば、このことを考え続けることそのものが、人の生だと言ってもいいと思います。それは、人間の本性だからです。個人は、どこまでいっても、自分やこの世界のこと全てを見通す、神のような存在にはなれません。それなのに、人間の自我は、今よりも次をめがけ、求め続けることを止めない。だとすれば、どんな立場にあり、どんな仕事をしている人でも、或はしていない人でも、同じ課題を持っているといわざるを得ないのです。
あなたは、自分の現在に満足していない、そして、同じところをぐるぐる回ることを恥ずべきことだと認識しているのです。幸福の定義は千差万別で語りつくすことはできないまでも、不幸の定義とは、幸福に繋がる術を知らないことだと決っています。ということは、知識や経験が、あなたを星の数より多い幸福へと導く、そういう道筋が、存在するということにならないでしょうか。自分にはどのような将来が見通せるのか、或は、自分の行く先は、今のあなたが見通せる程度の狭い規範の中にあり、その何れかでなければならない、などと考える必要はありません。
普段はちゃらんぽらんな凡人である僕でも、掲示板で回答することができます。それは賢いからでも、口が達者だからでもない。有限である自分の生を、どこまで密度の高いものにしたいのか、これは全く個人の裁量である、このことに意識的になれるかどうかの違いだけなのです。


・・・自分のブログを振り返って、いろいろな悩みに自分なりの考えを充ててはいますが、結局言っていることは同じことばかりです。これは、生きることについて考え得る根源的な部分まで遡った必然かも知れませんが、そろそろ小さな泉が枯渇していることを示すものかも知れません。サボらずにもっと勉強しなくては。

スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。