難しい事を言うつもりはありませんが、一度きりの人生、考えてもいいと思う事は結構あります。
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あなたでなければならない
ずいぶん更新をサボってしまいました。仕事のせいにはしたくないんですが、確かに余裕はありませんでした。年に数回ですが、僕にもそんなときがあります。

時間は止まりません。そして、いくら忙しくしていても、自分と自分の目の届く範囲ぐらいは、その小さな変化やつぶさな移ろいに敏感でありたいと思います。それが他ならぬ「よく生きるということ。」につながるのです。例えば子供が話す言葉の変化はとても判り易く、かつ面白いものです。これに気が付かずにいて、後後になって「知らない間に随分と生意気なコトを言うようになったもんだ。」などとぼやくのは、そういう日々の面白さを味わう機会を逃しているだけではなく、一個の人間の成長過程を、その変容の瞬間を見過ごしているのです。もう二度と戻ることはないのに。

green

時間が経つという事は昔を整理する事でもあります。部屋の中を見回すだけでも新しいものが増えて、知らない間に埋もれてしまうものもあります。片付ける作業や、新しいものの配置を考えているときに、ふと、何年か前に訪れた貴重なお店の事を思い出して、HPを覗いてみたら、BBSの書き込みは僕が書きこんでから全く更新は無いようでしたが、マスターの最新情報では新たにレコードのお店を出されるようです。その昔、やっておられたと記憶しているので、復活ということでしょうか。さてこの小さなお店ですが、僕は大好きな空間なので、無断で紹介しておきます。
http://yakata-de-voce.petit.cc/

お店のBBSに僕が書き込んだ曲、これも今の季節にはとても涼しくて最高です。レコードの針が走るノイズがまた、いいですね。

「カヨウボサノバ」について
 少し暖かくなると、僕はボサノヴァを聴きながらアイスラテを飲んでリラックスしたくなります。今日は時間があったのでネット上を色々検索していたら、久しぶりに衝撃的な曲に出会いました。ここ何年か、本場ブラジルではなく、ヨーロッパラテン系のものでもなく、ニッポンの、いわゆる昭和歌謡曲の中にも名曲があることを知って、収集はしていたのですが、僕らが生まれる直前には、何というか健全な音楽が生まれる土壌というものがあって、一つの世界、文化が成立していたんだなと羨ましく思うのです。メロディも編曲も歌詞も歌唱も、ちょっとすごくないですか?



 何年か前には、やはりこの手を好むマニアがいるのか、J-Bossaなるコンピも出ていました。僕も架空にコンピを編集したとして、ライナーっぽいものをを書いてみました。ご同輩なら頷けるのではと思いますが、どうでしょう。

 一言で言えば、このCDに集められたのは、古い歌謡曲だ。しかし、何故このCDが出来上がったのかについては、やはり動機というものがあるのであって、このCDを受け取り、聴こうとする人にとっては、星の数ほどある歌謡曲の中からこれらが選ばれた理由について、知らされておいても良いという権利がある。先入観が与えられない範囲において。
 歌謡曲とは何か。大衆音楽だ。大衆音楽とは何か。出来るだけ多くの人々の共感を呼び、多くの人間が快いと感じる事が出来る、普遍性のある娯楽だ。僕は旧来こうしたものについては掘り下げの対象とはしていなかった。説明過多であるし、表層的であるし、音楽の本質的な価値から離れて、商業的な価値としての側面がまずもって重要視されることについて、純粋な芸術に触れる喜びに資する可能性を感じていなかったからだ。
 しかしもっと大きな視点で見渡せば、少なくともアナログレコードとして発売されていた時代のこれら歌謡曲は、音楽が人々の間の共有物として扱われていた時代の産物なのであり、今のモノのようにあくまで個人的消費行為に迎合した使い捨て音楽とは全く違うのだ。実際、どのトラックを聴いても、多くの人間が係わり合い、手垢にまみれる中で産み出されているモノであることは直ぐに分かるのであり、どの曲も未来永劫、歌い続けられ、愛される事を究極的な目標にしていて、昨今のように人知れずダウンロードされ、一銭の貨幣も産み出さないうちに個人的な理由によってデリートされることなど想定の中には無いものばかりなのだ。確かに、ブラジル音楽がアメリカに渡って、それの模倣であり、言ってみればコピーのコピーに過ぎないのかも知れない。しかし、サウダーヂといわれるブラジル独特の気分や気概のこの国なりの解釈が、楽曲に新鮮で芳醇な風合いをもたらし、それが多くの人の健全な快さを運んでいた、この営み自体が、いま僕の興味を惹きつけてやまない。
花の都
でも実際には、4月のパリは寒いと思います。
パリは都会です。都会だということは、人のいろいろが渦巻くところでもあります。スリも引ったくりもいれば、タクシーの運ちゃんもアクドイ事をします。車同士が平気で接触します。
だけど、もう一度いってみたい気分にさせます。
それはたぶん、未だこの街には、洒落っ気や味わいというものに敏感で、人の作り出す豊かさを大切にしようという気質があるからだと思います。

グローバリゼーションの時代にショパンを聴く
・・・ずーっと見ていたくなります。まるで映画の一場面のようです。ショパンのノクターン13番は、重々しくても流麗で、東洋でも西洋でもない響きを持って、場所を越えた所で心を揺さぶるような不思議な曲です。このように、音楽を愛でたり、音や映像に酔いしれたりするのが人であり、人間の成せる事なら、国境を隔てるだけで鎧や仮面を着けて嘘や脅しを吐き、武器を振り回す事ができるのも、同じ人であって、人間の所業だというのでしょうか。

狂気は少しづつ現実へ
故あって珍しく連投です。熱も下がったら気分よく過ごすためにソフトロックなどいかがでしょうか。でも、いいなと思う音ってどこかサイケデリックなところがあるんですよね。





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